青葉繁れる。
谷町に行くと決めた時、一つの巨木が頭にありました。狭く小さな坂道で悠然と葉を茂らせている佇まいが印象的な、榎木大明神です。
とはいえ、急に思い立ったので正確な場所がわからず(私はスマホを持っていません)、実は名前もうろ覚えでした。確かな情報は地下鉄・谷町○丁目駅の近くということだけ。ただ○の中が6だったか9だったか・・・
まあ行けば何とかなると、谷町6丁目の駅で降りて、空堀商店街を横目に大通りを9丁目を目指して歩きます。ブラタモスポットに行き当たれば楽しいのになんて思っても、通りにあるのは寺、寺、寺・・・。やたらめったら寺だらけ。現役感満載の寺の間を、けっこうな勢いで車が行き過ぎる、谷町は実に面白い所です。
とはいえ、寺の入り口ばかり見てもつまらないので横道に入るとこれがまた寺
何だよ~、と思った時、入り口に『お初の墓所』の石碑を発見。
えっ。
お初って、「あの」お初?
そうなんです。近松の「曽根崎心中」ヒロインお初のお墓があるお寺なのでした。もちろん当時の墓は風化してとっくになく、現在の墓碑は平成になってから再建されたもの。
お寺ですから当然他の方のお墓もたくさんあるわけですが、(完璧な墓所です)入り口には再建当時の新聞記事と、お初さんの戒名と墓碑までの地図が貼ってあります。
つまり墓参歓迎のようですので、
それでは。
と、他の方々へ失礼にならないように恐る恐る足を踏み入れ、お初さんのお墓へ。ひざ丈ほどの小さな墓碑には「曽根崎心中お初の墓」と刻まれています。墓前には色とりどりのお花が綺麗に供えられていてしかも新しい。訪れる方は多いようですね。
齢21歳で心中して、しかもお相手の徳兵衛さんとは別の墓所。お参りしながらそんなことを思い返していると、健気さが俄かに現実味を帯びてきて、一所懸命に生きたんだね、とねぎらいの言葉の一つもかけたくなります。
そして、お初さんの墓所の目と鼻の先で今度は「梶井基次郎」の墓所・常国寺を発見。
基次郎の自筆を元にしたと思われる石碑。
江戸時代から昭和へのタイムスリップに頭がくらくらします。これは檸檬を齧るしかない?! こちらは案内が見つけられず墓参は叶いませんでした。後日、墓前にはいつも檸檬が供えられているという噂も聞きましたので、檸檬を目印に探せば良かったのかもしれません。
路地裏タイムトラベルに酔い、一旦は大通りに戻りましたが、大通りに大木はあるはずもなく、とにかく記憶にある景色は坂道の路地。大木だから絶対に遠くからでも見えるはずと見え隠れする緑を求めて再び横道に入ったら、今度はいきなり周囲がピンクな妖し~い空気に
看板の色からして、明らかにそういう地域に突入した模様
聖の裏にエロス。うーん、谷町9丁目、ディープ過ぎます。
この時点でおよそ1時間経過、そろそろ日も傾いて来たのに一向にたどり着く気配ゼロ。
これはいかん。
やはり、誰かに道を訊かねば。(←今ごろ(笑))
目星はつけてました。横道に入る前に通りがかった、外国人バッグパッカー向けと思しきhostelです。
明るくキッチュな内装はフレンドリーでとても居心地が良さそう。予想どおり、受付のお姉さんは気さくで、そしてこの辺のことをよくご存じでした。
さらにパソコンも駆使して私が行きたい木(この付近にはいくつか似たような木があるので)を特定し、ナイスな観光マップを使って懇切丁寧に道順を説明してくださいます。到達予想時間まで。ありがとうございます!
結果、目指す木の名前は「榎木大明神」で、谷町6丁目駅付近にあると判明。
そう、出発点が一番近くにいたのです。あはは。
とにかく場所は無事に判明。あとは行くだけです!
地図を片手に猛ダッシュ。松屋町通りへ出て谷町6丁目へ向かいます。日はほとんど傾き、軒先には灯がともり始めています。
松屋町通りは東京でいう合羽橋や浅草橋みたいな問屋街で、とくに玩具や人形のお店が多いところです。たくさんのクリスマスツリーや人気キャラクターの人形、駄菓子、色とりどりのおもちゃを横目にひたすらダッシュダッシュ。ここにも大阪のもう一つの顔があります。
小走りで約10分、松屋町の駅まできました。ここから東へ250mということですが、方向音痴にはどっちが東かわからない
飛び込んだ細い路地の階段を昇り切ると、ざっかけない立ち呑み屋やお洒落な手作り雑貨店が軒を並べています。泥臭さとセンスの良さが絶妙なバランスを保つここはここでナイスな空間ですが、今求めている場所ではありません。
目の前の雑貨店で再度道を尋ねます。目指す大明神はもうすぐ!
ありました!
ついに到着
日は暮れてしまいましたが、巨大なビルの隙間に伸びやかに枝を伸ばしている姿はまさに写真で見たとおり。
京都や奈良などにも巨木はたくさん残っていて、そのうちの幾本かは実際に目にしてきましたが、そうした古都の木たちは周りに寺社だったりが残っていて(ご神木となっていることも多いです)古来の文化とともに生きのびてきた感じですが、榎木大明神はまさに裸一本、単体でかろうじて生きのびてきた風情が、少し切なかったり、逆にその生命力が頼もしかったり。もちろん、地元の方の愛情あっての大明神様なのでしょう。実はこの木、名前は榎木大明神ですが、本当は槐(えんじゅ)なんだそうです。長い間、間違われていたのもまたご愛嬌です
お参りを済ませ、木の写真を撮っていると、仕事帰りらしきサラリーマンの方がやってきました。盛大に鐘を鳴らし、とても良く響く柏手を打ってから真剣に手を合わせています。きっと日常的に繰り返しているだろうその動作に大明神との絆を感じて、思わずシャッターを切ると、その瞬間、カメラの電池がなくなりました。
私たちの邪魔をするな、と大明神に叱られた気がしました。