ホリスティックライフ in 世田谷

都会の中の田舎に住み、ウキウキ、ワクワク楽しく暮らす。
キーワードは、ホリスティックライフ。

沖縄紀行<4>

2019-12-31 21:48:41 | たび<国内>
私が沖縄に初めて行ったのは、20年以上前のこと。
戦跡めぐりをしたり、基地を見たりしながら
沖縄の歴史と現状を考えるという極めて真面目なツアーに参加しました。

かなり前に沖縄戦に関する本などを読んでいたこともあり、
浮かれ気分で沖縄に行ってはいけないと、何年も思っていたのです。
そんな折、そのツアーに参加することができ、
観光地化していない戦跡をいくつも訪れたり、
普天間基地が一望できる嘉数高台公園や読谷村にあった象の檻(楚辺通信施設)に行ったりして
沖縄戦と基地についてさまざまなことを学ぶ貴重な機会となりました。
その経験を経た後は「沖縄解禁」として、
沖縄ファンクラブなるものに参加した時期も含め、沖縄本島や石垣島、波照間島、与那国島などを
訪れるようになりました。



そんな背景があるので、宿のご主人に沖縄返還前後の実体験のお話を伺って、
何から何まで興味津々でした。これはご主人が手に入れたアメリカ統治時代の車のナンバープレートです。
アメリカの車のナンバープレートに州ごとのニックネームが書いてあるように
(ハワイ州であれば、ALOHA STATE)、統治下の沖縄ではKEYSTONE OF THE PACIFICと書いてありました。
ご主人が高校時代にこれを見てとても腹が立ったとおっしゃっていて、沖縄の立場が難しいところにあったことが分かります。
一般に「太平洋の要石」と訳されますが、1949年に中華人民共和国ができ、その後、ベトナム戦争が始まって、
アメリカ軍にとって沖縄はますます重要な場所となっていきます。

まだアメリカ統治の時代にパスポートを取って本土の大学に進学し、
母親からドルで送金してもらっていたこと、
沖縄では鉄道がなかったから電車の乗り方やきっぷの買い方などが全く分からず
人に聞いたら変な顔をされたこと、
さまざまな差別を受けたことなど、非常に貴重なお話を伺うことができました。
そのあたりの話はとても興味のあるところで、質問したいことが山ほどありましたが、
すでにかなり遅い時間になっていたので、これはもう次の機会を待つしかない、
また戻ってきてゆっくり話を伺おうと決めた次第です。

さて、そろそろ浮かれ気分の沖縄紀行に戻ります……。



最終日の朝食はフォカッチャサンド。奥様が焼いた小麦胚芽入りのフォカッチャです。
付け合わせのサラダもカボチャサラダも器もオシャレ!
本当にセンスがいいんですよね~。



この日も「Mさん特権」で、トーストを追加でいただきました。うれしやうれし。

名残惜しいのですが、宿に別れを告げ、宮古島に向かう同行者2人を空港行きのバス停で見送り(お出迎えもしましたからね~)、
夜の出発便まで気の向くままに車を走らせます。



JAで生アーサ(アオサ)や沖縄産の黒米などを買い込み、ちょうど揚げ立てだったサーターアンダギーを頬ばってはっぴ~。



うわ~、例の牛乳パックが3種類そろっていましたよ!

本部半島から橋を渡って行ける瀬底島に行ってみましたが、やけにダンプカーが多いと思いました。
それもそのはず、素朴な島に、リゾートホテルと思われる高層の建物が建設中でした。
がっかりです。勝手な意見ですが、リゾート開発する場所は限定してほしいものですね。

沖縄美ら海水族館にも行ってみようと思ったものの、駐車場でのあまりの車の多さと人の多さにウンザリして
すぐに行き先変更。備瀬のフクギ並木を見に行きました。



集落がフクギ並木に守られています。樹齢300年にもなるフクギもあるそうです。





そこそこの観光客はいましたが、のんびりお散歩を楽しむことができました。
特にフクギ並木の先に見える海があまりに美しく、あ~、ここは沖縄~!を実感。

さて、この続きは年が明けてからとします。
今年もインド大使館VCCのヒンディー語やヨガなど、新しい体験ができ、旅行も行き、
楽しく充実した1年でした。今が一番いい時と言える自分がいる、楽しめる自分がいる、それが重要だと思っています。
飽きもせずにブログを読んでいただきありがとうございました。
少しずつ読んでくださる方が増え、それだけでも励みになっています。
来年もつらつら書き続けます。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします!
コメント
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