昨日のキャシーさんのヴォーカルワークショップでこころにのこった言葉。
「歌う時の、ものすごく不安な気持ち。
あれもやってみたいけど、これもやってみたい。
自分はいったい何がしたいんだろう。
自分のなかで、どれがいいことで、どれがよくないことなんだろう。
そんな不安や悩みを、わたしもすべて経験してきました。
いま思うのは、わたしはなににでもなれる、ということです。
経験がわたしをつくっていくのです。」
「失敗をおそれなくていいのよ。
観客がみたいのは、あなたが失敗をどううまくつかって立ち直るかなのだから。」
キャシーさんは、ほんとうにあたたかくて素敵な方で、
いつもおあいするとほっとします。
家のなかで歌いながらくるくるまわったり、身体を揺らしたりしてみるとリラックスできるわよ、とアドバイスしていただいたので、さっそく今夜あたり試してみようかな。
青木深 『めぐりあうものたちの群像-戦後日本の米軍基地と音楽 1945-1958 』 大月書店、2013年。
帰国したら読もうと思い、渡米前に買っておいた本を読み始めました。
その分厚さにずっしりとした年月の重みを感じます。
調査に7年、執筆に3年、刊行までに4年かかったそうです。
まだ読み始めたばかりなのですが、地に足のついた、丁寧に綴られた文章にひきこまれています。
何事にも、スピードと効率、目に見える結果を速くたくさん出すことが求められる風潮の中で、こんなふうに時間をかけてようやく形になる研究もあるのだと、示してくださっているようで、励まされます。
「経験された個々の具体的時間/瞬間」へのこだわり。
「未来のための現在」ではなくて、直線的な時間意識の「間隙」としての個別具体的な生きられた瞬間。
それらが、青木さんの五感を通して、どんなふうに綴られていくのか、読み進めるのが楽しみです。
http://www.otsukishoten.co.jp/book/b107196.html
昨日は、朗読の勉強会を見学させていただきました。
声ひとつで、人物の距離感を表現したり、風景を浮き上がらせたり、流れてくる音を表現したりする、難しさと面白さ。
ほんとうに声の世界は奥深いなとあらためて感じました。
歌には旋律がある分、別の要素も加わってきますが、朗読は徹底的に言葉による表現であるがゆえに、声だけが浮き彫りになります。
いま、大学4年生の頃に読んだ、竹内敏晴さんの『ことばが劈かれるとき』を読み直しています。
小さい頃に患った耳の病気が原因で、小学、中学時代ほとんどしゃべれず、深い孤独感のなかで少年期、青年期を過ごされ、そのなかで朗読や演劇にであった竹内さんが、ことばや、声、身体、自分/他者、関係性について、身体ごとぶつかって探求を深めていかれた過程がつぶさに描かれています。
大学生の頃、ゼミの場でわたしが言葉に対して感じていたのも、「自分にはことばがない」というような気持ちでした。
伝えたいことはあるのに、ことばが見つからない、ことばにしたとたんに、言いたかったことは声からどんどんこぼれ落ちていって、相手に届く前に空中で分解してしまう。
残されているのは、相手の怪訝な顔や、「何が言いたいのかわからない」というような戸惑った顔、なんとなく白けたような空気。
ああやっぱりだめなんだというような、諦めにも似た気持ち。
すらすらと書き言葉のように話すことができる友人たちを見て、みんなどうしてそんなに言葉を話せるのだろう、とうらやましく、不思議でした。
そんなとき、ある先生に紹介していただいて、とても感銘を受けたのがこの本でした。
それから10年以上経って、いままた読み返してみると、当時は気がつかなった(というより、一時期は竹内さんの本をほとんど全部読んだほど熱中したのに、本の内容そのものもほとんど忘れていました)ことがたくさん見えてきました。
声や言葉に対する、洞察や実践の記録としてももちろん興味深いのですが、第二次世界大戦後に青年期を過ごした、ひとりのひとの歴史を通して、「戦後」の物語が浮かび上がってきます。
***竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫、1988年)***
声ひとつで、人物の距離感を表現したり、風景を浮き上がらせたり、流れてくる音を表現したりする、難しさと面白さ。
ほんとうに声の世界は奥深いなとあらためて感じました。
歌には旋律がある分、別の要素も加わってきますが、朗読は徹底的に言葉による表現であるがゆえに、声だけが浮き彫りになります。
いま、大学4年生の頃に読んだ、竹内敏晴さんの『ことばが劈かれるとき』を読み直しています。
小さい頃に患った耳の病気が原因で、小学、中学時代ほとんどしゃべれず、深い孤独感のなかで少年期、青年期を過ごされ、そのなかで朗読や演劇にであった竹内さんが、ことばや、声、身体、自分/他者、関係性について、身体ごとぶつかって探求を深めていかれた過程がつぶさに描かれています。
大学生の頃、ゼミの場でわたしが言葉に対して感じていたのも、「自分にはことばがない」というような気持ちでした。
伝えたいことはあるのに、ことばが見つからない、ことばにしたとたんに、言いたかったことは声からどんどんこぼれ落ちていって、相手に届く前に空中で分解してしまう。
残されているのは、相手の怪訝な顔や、「何が言いたいのかわからない」というような戸惑った顔、なんとなく白けたような空気。
ああやっぱりだめなんだというような、諦めにも似た気持ち。
すらすらと書き言葉のように話すことができる友人たちを見て、みんなどうしてそんなに言葉を話せるのだろう、とうらやましく、不思議でした。
そんなとき、ある先生に紹介していただいて、とても感銘を受けたのがこの本でした。
それから10年以上経って、いままた読み返してみると、当時は気がつかなった(というより、一時期は竹内さんの本をほとんど全部読んだほど熱中したのに、本の内容そのものもほとんど忘れていました)ことがたくさん見えてきました。
声や言葉に対する、洞察や実践の記録としてももちろん興味深いのですが、第二次世界大戦後に青年期を過ごした、ひとりのひとの歴史を通して、「戦後」の物語が浮かび上がってきます。
***竹内敏晴『ことばが劈かれるとき』(ちくま文庫、1988年)***
今日は素晴らしい歌手、ロアナ・シーフラ(Lorna Cifra)さんの美しい言葉にであいました。
「もっとわがままになってくださいね。
なぜなら、誰かを本当に愛するためには、あなたは自分自身を愛さなければいけないからです。」
ほんとうにそうだと思います。
ときどき、自分を愛することは自己中心的で、よくないことだ、わたしたちは自分を他人のために犠牲にしなければならないのだ、という言葉を聞きます。
でも、自分のことを本当に愛することができなければ、他人を愛することはできないと思います。
音楽を通して自分自身を愛することを学べたこと、音楽を共有してこられた友人たちや、音楽家に限らず、いつも自分を触発してくれるたくさんの素晴らしい芸術家のかたたち、本に本当に感謝しています。
「もっとわがままになってくださいね。
なぜなら、誰かを本当に愛するためには、あなたは自分自身を愛さなければいけないからです。」
ほんとうにそうだと思います。
ときどき、自分を愛することは自己中心的で、よくないことだ、わたしたちは自分を他人のために犠牲にしなければならないのだ、という言葉を聞きます。
でも、自分のことを本当に愛することができなければ、他人を愛することはできないと思います。
音楽を通して自分自身を愛することを学べたこと、音楽を共有してこられた友人たちや、音楽家に限らず、いつも自分を触発してくれるたくさんの素晴らしい芸術家のかたたち、本に本当に感謝しています。
昨日の賢治の祭、ゆたかな時間でした。
あらためて、言葉と声だけで表現する朗読の世界の奥深さに感動しました。
歌も、言葉で世界を表現することが基本だな、とあらためて感じます。
初めて演奏させていただいた京都府庁は、重厚な雰囲気で、賢治の世界にぴったりでした。
あらためて、言葉と声だけで表現する朗読の世界の奥深さに感動しました。
歌も、言葉で世界を表現することが基本だな、とあらためて感じます。
初めて演奏させていただいた京都府庁は、重厚な雰囲気で、賢治の世界にぴったりでした。
畠山美由紀さんのライブに行ってきました。
”Rain falls”というツアーのタイトルどおり、優しい雨が降り注ぐような時間。
寂しいときや哀しいとき、こころは硬くこわばるけど、
音楽は硬い表面からもしみてきて、殻を溶かしてくれる。
高校時代の部活動の先輩がチェロ奏者として参加されていて、
終わったあと楽屋でごあいさつさせていただきましたが、
楽屋で、同じく聴きに来ていた高校の後輩とも18年ぶりぐらいに再会。
その子は最近仕事で関西に来たのだそうで、畠山さんのライブ情報を調べていて、偶然先輩の名前を見つけて、驚いて来たのだそうです。
仕事で疲れていたけど、疲れがふきとんで元気になりました、というその子と、
音楽は色々なひとを繋いでくれるね、と話しながら駅まで帰りました。
こころにしみこむ雨みたいな音楽を紡いでいきたいです。
畠山美由紀
ロアナ・シーフラさんのクリニックに参加してきました。
声の使い方、ライブでの実践的なアドバイスなど、ほんとうにためになることばかりでした。
「セッションでも、たった1曲でも、プロフェッショナルとして自分のステージをつくってください」という言葉がとりわけこころに残りました。
明日からも、がんばろう。
声の使い方、ライブでの実践的なアドバイスなど、ほんとうにためになることばかりでした。
「セッションでも、たった1曲でも、プロフェッショナルとして自分のステージをつくってください」という言葉がとりわけこころに残りました。
明日からも、がんばろう。