にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

磨くこと

2009年06月29日 | 日々のこと
先日、大好きな歌の先輩とピアガーデンに行きました。

つもる話がもりだくさんで、ずっと話していたのにそれでも話足りないくらいでした(帰りはちゃんとタクシーで帰りましたのでご心配なく!←心配性の母への私信)。

ビアガーデンに行くのは2回目くらいだったけど、屋外ということもあり、なんとなくお祭りみたいで楽しかったなあ。

わたしが好きなヴォーカリストは、「個」が立っている。その先輩もそう。

顔立ちが整っているとか、スタイルがいいとか、そういうことではなくて(その先輩はとても綺麗な方なのですが)、その人でないとない声とか、空気を持っているかどうかが、わたしが「綺麗だな」と感じるかどうかの基準になるみたい。その人の世界が内側からにじみ出ているときに、「ああ綺麗だな」と感じる。

好きな歌手はものすごくたくさんいるのですが、なにが好きかといわれたら、その人の「個性」が好きだということになるんだろうなあ。

研究を始めたころ、「それで、この研究のあなたのオリジナリティはなんですか?」とよく聞かれたのだけれど、ある研究者の先生から、「"オリジナリティ"っていうのは初めからあるもんじゃないのよ。ほかの人の研究とつきあわせて削って削って最後に残るものがオリジナリティなのよ。」と言われたことがある。

自分が思いつくようなことは、じつはもう何百年も前から、形を変え、言葉を変え、いろいろな人が言ってきたことであるというのは、ある意味そうだと思う。だけど、ほかの人の研究を読んでいて自分と同じことを言っている人がいると、うれしい反面がっかりするのも事実だ。

とっても素敵だ、自分らしいと思って気に入って買った服を着ている人に街でばったり出会ったときの気持ちに似ているかも(しかも場合によってはその人のほうが似合っていたりしてショックを受けることもある。)

だけど、最近、"オリジナリティ"ってやっぱり最初からあるものじゃないかとも思うのです。生まれたときに、その人がその人であるというだけで、そこに在るもの。

ただ、表現していくためには、生まれたそのままではなくて、石を磨いて宝石にするみたいに、どこかで「磨く」という作業が必要なんじゃないかということ。

その作業の中身は、ほかのひとと自分を比べるということだったり、徹底的に自分を殺して誰かの真似をするということだったり、ある時期、考え抜くということだったり、人や時期によっても違うんだろうなあとも思う。

いまのわたしにとって必要な作業はなんだろう。

試行錯誤しながらいろいろやってみようと思っています。

人生の季節

2009年06月25日 | 日々のこと
このあいだ、宇多田ヒカルさんがテレビで言っていたこと。

「あるとき気がついたら、大人の女の人の心情を背伸びせずに歌えるようになっていた。」

なんだか、わかるような気がします。

最近ふとした瞬間に「あれ?」と思うことがよくある。

たとえば、昔は決して似合わないと思っていた色や形の服が似合うようになっていることに気がついたり、以前とても好きでよく着ていた服が幼く見えることに気がついたりするとき。

それは、小さいころ、背伸びをしないと届かなかったものが、いつのまにかそのまま手を伸ばせば届くことにふと気づいたときの感覚に似ている。

変化は毎日すこしずつ起こっているのだろうけれど、自分にとっては、ある日突然変化したあとの自分を発見するという感じに近くて、とても不思議。

ジャズのスタンダード曲は、同じ歌詞が、歌う人によって初々しくなったり、円熟した艶が出たりするので、おもしろい。

同じ歌手でも、若いころの録音と、晩年のものでは、違った味わいがある。

ずっと前に歌った曲も、また歌いなおしてみようと思っています。


論文について思うこと

2009年06月20日 | 日々のこと
最近、ある大学生に卒業論文のアドバイスをする機会があった。

わたし自身は、なかなかテーマが決まらず、ほとんど締切前1週間ぐらいで書き上げ、脚注も先行研究への言及も一つもない、ある意味で「前代未聞」の卒業論文を書いたので、偉そうなことは言えないのだけれど・・・と前置きをしてから、「まずは調べようと思っているテーマについて、ほかのひとがどんな研究をしているか、調べたらいいと思う」と言った。そのひとは、ある作家の、ある作品について書こうとしているのだけれど、「できればその作家の年譜もつくったらいいと思う」とも言った。

けれども、とりあえず「論文」と認めてもらうために体裁を整えるための作業と、ほんとうの意味での(なにがほんとうの意味かは難しいけれど)「勉強」は、重なっていることもあれば、ずれていることもある。

そもそも、「論文」とは何か、という問題は、じつはわたしがこれから書こうとしている論文のテーマでもあって、一言で定義するのはとても難しい。

形式的なことでいえば、

①ほかの論文を引用した場合は、その論文に関する情報(著者名、論文のタイトル、掲載された雑誌名、雑誌の刊行年、出版社)と、引用した頁数を明記すること。
②引用した文章は「 」でくくり、自分の地の文章と区別がつくようにすること。

のふたつは、最低限守ったほうがいいのではないかと個人的には思っているけれども、それだって、有名な哲学者の文章を見るとそんなことをしてないこともあるわけで、たんに「あなたはまだ下っ端だからやりなさいよ」、ということに過ぎないのかもしれないとも思う。ただ、読者の立場からすれば、筆者が引用している論文を読んでみたいなと思ったとき、その論文についての情報がきちんと明記されているととてもありがたいと思うので、わたし自身はこのふたつは守ろうと思っているルールです。

でも、あとは、そのひとが苦しみ、もがく過程(もちろん、それがそのひとにとって楽しいことなのであれば、というのが一番大切だとわたしは思っていて、苦しむことそれ自体を他人が強制するのは間違っていると思うのですが)のなかで、自分にとっての「論文」を書けばそれでいいんじゃないかなあと思う。

自分はいつも悩みまくっていて、他人に答えを教えられるのが嫌いなくせに、ひとにアドバイスをするとなると、急に老婆心がでてきていろいろ言いたくなるのはわたしの悪い癖だ。

思うに、いろいろ言いたくなるのは、ほんとうは自分のなかで、それが何かまだわかっていないからじゃないかなと思う。だから、説明するのは、相手のためではなく、自分のためなのかもしれない。

でも、最近になって、ようやくいろいろなところにちらばっていた「点」が結びついて、「面」になってきたような気がする。

だから、卒業論文を書けなくて苦しんでいたころの自分にも、「それでいいんだよ」って教えてあげたいです。



・・・ここまで書いてふと気がつきましたが、こんなに長くなったのは、やっぱりわたしにとって「論文」って何かわかっていないからなのでしょう(笑)

なにはともあれ、わたしも自分にとって面白い文章が書けるように、いろいろ勉強しようと思います。

甘い誘惑

2009年06月18日 | 日々のこと
夜ごはんを食べた後、どうしてもアイスクリームが食べたくなって、近所のケーキやさん(安くて美味しい)に行きました。

表示されているカロリーも若干気にしつつ、どのアイスを買おうか悩んでいると、同じように迷っている様子の学ランを着た少年が。

「わかる。わかるよ。その気持ち。」

と妙な連帯感を覚えてしまいました。

逡巡した挙句、彼は、アイスとお饅頭を、わたしは抹茶小豆ミルクのアイスクリームを購入。

彼は育ち盛りだから大丈夫だろうけど、わたしはこれ以上育っても困るので、あとで腹筋でもして寝ることにしようと思います。

チヂミ

2009年06月10日 | 日々のこと
作ってみたら簡単だったので、2日連続チヂミをつくりました。

小麦粉250グラム、水200CC、卵1個に、ニラや豚肉、キムチなどを混ぜてごま油で焼くだけ。

大の粉もん好きとしては、これからもいろいろ開発したいところ。

やまいもをすりおろしたのをいれたり、イカをいれたりしても美味しそうだなあ。

おすすめのチヂミレシピがあったら教えてください。

てくてく歩くお地蔵さん

2009年06月06日 | 日々のこと
ひさしぶりにゼミ発表のため大学に行き、先生方やともだちに会う。   

まだまだ書きかけで、ぜんぜんまとまってないけれど、みんなと話していたら、なにか書けそうな気がしてきた。

ひとりで自分に向き合う時間と、ひとに会って話す時間。

あたりまえのことかもしれないけれど、わたしにはどちらも必要だ。
どちらがかけても、バランスがとれない。

議論をもとに、ゆっくり練り直していこうと思う。

ゼミの後、友人宅に泊めてもらい、翌日は以前から行きたかった鈴虫寺によって帰宅。

鈴虫寺のお坊さんのお話はとてもおもしろかった。

日本で唯一だという、わらじをはいたお地蔵さんにお願い事をしてきた。
わらじを履いて、家まで願い事をかなえに来てくれるのだそう。

なにをお願いしたかは、ひみつ。