にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

傷ついた癒し手

2012年07月31日 | 日々のこと
Everyone has both sides, a client and healer-like a Cheiron.
Ryuji Kagami,"Orphic Egg",Bungei Syunju,2009.



ひさしぶりのブログ更新です。

神戸でのライブも無事終わり、元気に過ごしています。
いまは、来月3日からの渡米に向けて、準備を進めています。

先日読んだ占星術家の鏡リュウジさんの本のなかに、印象に残ったフレーズがありました。
半身半馬のケンタウロス族の王、ケイロンについての文章です。

深い知恵を持ち、天文学、占星術、哲学、医学などの学問に優れていたケイロンは、ある日ヘラクレスが誤って放った毒矢によって致命的な傷を受け、自分でもその傷を治すことができず、死を選んだそうです。

ただ、死を選ぶときに、自分の死とひきかえに、人間に火を与えた罪により拷問を受けていた巨人族のプロメテウスの開放を冥府の王ハデスに願ったのだとか。

ケイロンは、心理学や元型論(※1)では、「傷ついた癒し手」と称されるのだそうです。
自分が傷ついているからこそ人を癒すことができる。
けれども、医者と患者として向き合ったとき、本来は一体である、「傷つき、癒す者」が二つに分裂し、「傷ついたもの」と「癒すもの」とに分かれてしまうことが多い。

それは、分裂したケイロンのイメージに振り回される悲劇だ、と鏡さんは書いておられます。

自らを「傷ついたもの」と規定し、誰かを神のように崇めて依存するのも、また、誰かを「傷ついたもの」と規定し、自分の傷を投影し、一方的に癒そうとするのも。

「傷ついたものだけが傷を癒すことができる。痛みをお互いに共有し、投影しあうことが、癒しのベースにある。そして、ケイロンを投影したり、また自分に引き戻したりしながら、お互いが相手の傷を知ったり、学んだり、癒したり、傷つけたりするのが、医者と患者だけでなく、あらゆる人間関係の基礎にあるのではないだろうか。」

という言葉に、ほんとうにそうだなと思いました。
医者ー患者に限らず、占い師ークライアント、教師ー生徒、親ー子など、さまざまな人間関係にあてはまる言葉だなと思う。


自分の内側にいる賢者の声に耳を傾けることを忘れずにいようと思います。


※1:議論はいろいろあると思いますが、さしあたり、人類の中に共通してある、神話や物語などの類型をさして、心理学者ユングが用いた言葉、と理解しています。


****鏡リュウジ『オルフェウスの卵』文藝春秋、2009年。*******