日記

Hajime

夜の樹

2011年10月22日 | Weblog

9月が終わってからぱたりと読書をやめている
やめている、というとセーブしているような言い回しで本に失礼だなと思うので
正確に言うと読書に気が向いていないだけである

ムラがあるのはよくないなぁ、と思ったのは
今日、とある読書家さんとお会いしたからだ

仕事で知り合ったのだけど職種は全然異なり
今携わっているマラソンの本がきっかけで知り合った方なのだけれど
無類の本好きとお聞きして、竹橋のパレスサイドビルで皇居という超ランニングスポットを目の前にしながら(かつその方はランニング用の格好をしていた)ひたすらに小説の話しをした

特にヘミングウェイより前のアメリカの純文学が好きだということで
カポーティの話題から導火線に火がつき、およそランニングはそっちのけで小説についての話しをした
それは何もない不毛な荒れ地にわしわし鍬を入れてやがて一角の畑を手探りでかたちにしていくように実りに近づく会話だった

「暗い趣味の持ち主でどうもすみません。でもこれが私のライフワークでもあるんです」

コーヒーを少し口に含んだ後、カップをテーブルに置きながら彼が話すのに対して
私は尊敬の念を感じこそすれそれが暗いという言葉の、つまりネガティブな印象など感じないし
どちらかというと感謝に近いみずみずしい思いがあった
かつそれを初対面の私なぞに話すということは、実際は小説が好きでたまらないというぶれないものがあるからだろうとも感じた

そしてそれから私たちの会話もぶれることなく小説の話題に徹し
太宰の、しかも森見氏がリメイクした本のその書き方や
現代文学についての話しをした

私は文学部でもなければ、文芸関係のサークルに属したこともないので
ひたすらに独学で本をあさり、そのあさりかたは五里霧中というか
割と現代に近い本でおもしろいと思われる本を読んでみて
その作家の原点となる本を書いた作家を調べたり、過去に似ている展開や書き方
近い精神の持ちようの作家を遡って古本屋でひたすら本を探している

つまり、森見氏でいう太宰や、村上春樹でいうカポーティのような
今の作家に影響を与えた作家を独断と偏見で割り出しては古本屋を奔走している阿呆丸出し具合なのだけれど
やはり本についての知識のある人と話すと、私の試行錯誤などはあっさり解決するのである

そんな話しをこんこんとしながら気がつけば1時間半が経とうとしていて
「あれ、そういえばあまりマラソンについての話しをしていないような」

という心持ちだったのだけれど、そういう親睦の深め方もあるはずと思いながら皇居をあとにした
気づいたことはライフワークとして本を読み続けるにはまだ私はムラがあるということ
そして何より彼の足の速さに驚愕した(フル最高タイムが3時間7分だった)
私は地球の走り方という雑誌でも書いたのだけれど初フル4時間半だった。。。。 ずーん


それから最近はアラスカから一時帰国されている河内牧栄氏と久しぶりに再会して少し話しを聞くことができた
去年のアラスカ旅では北極圏にほど近い街で白夜の空の下、バーでビールをひたすら飲み
電気や水道の通ってない場所にある自宅にお邪魔させてもらったりとかなりお世話になった方である
方向性もものの発し方も異なる方なのだけれど1年以上ぶりにお会いできてまたアラスカに行きたいなぁと懐かしく思った

そして来週からスイスのローザンヌマラソンの撮影取材
いい写真を撮ってこようと思う



カポーティの本で「夜の樹」という私の大好きな短編集がある
それは何気ない人の心の波や、日常の些細な瞬間に潜む人の狂気を静かに切り取った物語なのだけれど
小説として形になって初めて光りを浴びたその物語の数々について話し合える人に出会えただけでも大きな財産であるし、
さて引き続き書いていこうというリビドーを腹の底でむらむらと感じながら机に向かおうと思えたのである