日記

Hajime

べっひゃーーー

2011年10月06日 | Weblog

の写真はやっぱりすごいと思う

ドイツっぽいといえばそれまでのかちかちした感じなのに
記録としてのタイポロジーは一枚二枚と並べることによってレフェランが広がって、
それは被写体が無機質であればあるほど奥行きがあって
並べば並ぶほど滑らかに延びていく世界がある

私のうちは毎年正月に家族全員で写真を撮る
毎年毎年例外無く撮る
撮り続けている
これもある種のタイポロジーと言えなくはないが、いややっぱり言えないと思うのだけれど、
ある者は成長し、ある者は老いて
次の年にこつ然といなくなり
それでもまた次の年も家族で写真を撮る
いなくなった者の代わりに次の子らが写真に登場する
よく目を凝らして見ると、遠くに映る灯台や船がゆったりと朽ちていくのも分かる
そしてごくまれに新しい物も写りこんだりする

人だとあまりにも写真に順序がついてしまうのだけれど
例えばベッヒャーやシリングのような写真家のように反有機物や画としての空間をモチーフにすると、
その羅列は順序やパターンから解放されていて全てでひとつの図面になっているのが分かる

全く関係ないのだけれど、文章ならばヘミングウェイの書き方に似ている気がする
特に短編

思想や思考ではなくて
文章や写真にする時に、最大限に物事を客観的に再現するという部分が似ているのだと思う
釣りの表現や戦争にいたるまで

案外これは難しい作業で、
だからとてもおもしろいのだけど
掃除に似ている
いいものを集めるばかりではなくて
掃除する

特に細部にいたるまで掃除する

私の部屋には整理されないままのものが山積みだと気づく


掃除をしなければ



でもたまにうだうだとした太宰を広げてみたくなる欲求

だから片付かないのである