日記

Hajime

五月のはじめ

2011年05月10日 | Weblog

こんにちは

からからとした冬が去って、足早な春にはまるで追いつけず、気がつけば桜も散り、
見上げても見下ろしてもそこいら中にわなわなと緑が萌えているではないですか
濃ゆい濃ゆい五月です

今はつつじが見頃です
パンジーひなげし藤鈴蘭
と、路肩はさながら花たちの青春まっただ中の様相

名もなき緑の葉っぱなども我生えりと息巻き、
その見事な葉っぱの影の下、軒先の大皿の中でちょろりと泳ぐ赤い金魚を見るにつけ、
この五月はなんと五月か
なんとその五月は五月らしき五月かとふれてまわりたい病であります

しかしながらそんなことをして回ればあいつは阿呆かと思われるということは想像に易く、
また、阿呆は私ではなく、あえて言うならば阿呆は五月であって、五月の花々であって、葉っぱであって、
ちょろりと泳ぐ金魚ではないかと反論したいところではありますが、
するときっぱり言われるのである、やっぱり阿呆はお前だと


五月であります

GWを含めそのしばらく前から結構多くの人とお会いしました

アラスカの写真家とは、新宿の思い出横町の一角、せまい木造の階段をぎしぎし上がった所で燗をちびりちびりと飲み、
侃々諤々話しこみました
理系の彼の考え方が非常に興味深く、野生動物を撮ったその写真にはいかにもその生き物から放たれる熱気がおさめられているのに、
その語り口は非常に冷静で、写真の構図からゲーテの哲学までお酒がまったく進む夜でした

『卑怯な考えの動揺、しりごみ、小心な嘆き。
そんなものは不幸を防ぎもせず、お前を自由にもしない。
あらゆる暴力に逆らって己を守り、決して屈せず、そして力づよく振るまえば、
神々の腕をよびよせる』

そんなゲーテの言葉を思わせる深い目をした男でした。ちくしょう。いい男であります

さてまた、東北へボランティアへ行かれた方と話して興味深い話しを聞く事ができ、
(いかんせん興味深いなどと言葉にしてしまうとどうしても言葉自体が信用ならないのだけど、それは興味深いというか、その現状そして心情をお聞きし、時間を共有しなければ東北及びその方の心情を私は知り得なかったという点において興味深いと思うのです)

はたまた膨大な量の絵はがきを自分自身に出し続けた方にお会いし、
行為そのものと、それ以前にその行為に結びついた心理の流れは、
デトックスというよりもはやカタルシスとさえ感じられ、つまり大変味わい深い時間を過ごすことができました

それから政治の話しや、ご当地話し、自然から絵から写真から妖怪、古本音楽料理に情事
そのような話しをもりもりと人々として、不毛すぎるこの脳内畑のすこぶる肥やしになりました

かたや日中はカフェで勉強にあけくれ、いい加減出てってくれないかという店員の視線及び目の前のノートとの格闘に時間を費やし、
さらなる不毛な畑は広がるわけですが、夕刻から出会うそのえげつなく興味深い人々のことを考えると、やはり世界は広いわけです
いや世界というより種々人格の多様性の無限なことといったらばすごいと感じるわけです

それから好きな小説をここぞとばかりに手に取って、ざくざく物語を進んでいくと、
もはや一体あの名言を語ったのは誰だろうか、実際に酒を飲みながら夜な夜な話してくれたあの人であっただろうか、
いや小説のあいつだっただろうかと我ながら馬鹿丸出し状態であって、
やっぱり阿呆はきっぱり私であるような気もします


そんな風な五月はじめです