日記

Hajime

助けとか

2014年04月29日 | Weblog

このブログについて、書き方や意見を結構いただいたりして、本当に助かっています



 で、本当に私の為に踊ってくれるこの夏のダンス集団や

映像をつくってくださる方々

遠くから会いにきてくださる方々

本当に助けられていると思う

相乗効果的にも
ぐいぐい撮れてきている

ぎりぎりの断崖や夜の山に入って撮影するこの恥ずかしながらもぎりぎり感の
快楽ったらない

好きだから撮るとかつくるとか

苦しいけどそれも踏まえて撮るとかつくるとか

早さとか遅さとか

そういうのとかもどうでもよくて

納得のいく
ものをきちんと目の前に並べたいという

本当に
恥ずかしいし、
甘ったれた、社会と何の接点もない現象なのだけど


それすら気にしない

そうしていいものをつくっている人たちもいるし、繋がってきているし、そういう限られた人と出会えて助けられた事実はなかなかどうしてしょうもないと言われても事実であるので

書いている暇があればつくれということなの


そうすることにする

いろいろ助けられている、と実感


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東京で励まされる

2014年04月24日 | Weblog
といいつつも映画祭盛り上げてこう

楽しんでがんばってこう

年寄りの言い分につきあう暇はない

2014年04月17日 | Weblog


まったくくだらない人たちのくだらない人たちによるくだらない飲み会に寄る
ここまでくだらないとなんというか、もはや開き直らざるを得ない


芸術性のかけらさえない

闘う意思さえない

その空間に一分一秒、同じ空間で酸素を吸い、呼吸する苦痛

映画祭等くそくらえだし、こんな無意味なことはない、といって去ってしまえ



映画は素晴らしいし、映画による表現はすばらしい

苦痛や生き様や苦悩や喜びや人生そのものを絞り出すあの表現はやはり絶句する程の素晴らしさがある

しかしながらこの地域で行われる映画祭はくそ以下であってもはや1ミリの価値もない


そのようなものに関わる人々と一体なにができるというのだろうか

芸術性や美しさのかけらもないこの流れの中、今年は着々と自分のものをつくって
地域で本気で何かを費やしている人々とつながることだけに集中する

それを考えると、東京の人々はなんて闘っているのだろうかと思う
あがいて、少しでも前進しようと食いしばっている

あの頃の日々は私にとっての青春などとかたづけてしまわないために
この地域で行われている無駄な映画祭をかたづけて、本当によいものに近づいていかなければいけない

この一年をくそのような映画祭をかたづけながら
私は私の作品をつくりながら、この地域で本気で表現に費やしている人にさらに近づかなければいけない

そんな一見無駄な一年間

無駄にするかどうかは自分自身である

この地域で本気でおもしろいことをやろうとしている人たちは多い
映画祭はそれに反して本当に無駄である
それを無視して一方でやるべきことをやらなければ島根の文化芸術の発展はない



3年前のことを思い返す

2014年03月12日 | Weblog

姑息な手を使うこともできる

いじけることもできる

人のせいにしてまわりにいるほんの少しの人を味方にして安心することもできる

昔のこととかを思い出したり、その時聴いてたロックの歌とかを思い出して奮い立たせることもできる

頭の中や自分の部屋で現実逃避もできる

インドやアラスカやヨーロッパのことも目を細めて遠く関わりのないものだとすることができる



けれどもあれこれと見たり体験したことは嘘ではないのわけで

その上で正面突破以外に方法がないのだとすると


正面突破していくしかないのである


いいものはいい

それだけで突破して行くしかないのである







いなかの丘でのこと

2014年03月04日 | Weblog

週末はいろいろといいものをみた

というより自分の中にとりこむことができた

彼の目から見たら彼が正しいし
また別の人から見たらその人が正しい

そういう意味で視点の異なる人と一緒に何かを行うことは勉強になる

しかもその視点をもってきちんと突き抜けて確固たるところに近づこうとしている人

そういうものをきちんと整理して自分の中に取り入れたい

これが単に突き抜けきっていない人が発したものであれば取り入れることはないのだけど

それが今回の一番の収穫だった

突き抜けている人と一緒に何かをする

そして私とは異なる価値観の持ち主


だれの言葉か知らないのだけどどっかで聞いたことがある

自分が自由でいたいなら 自分を見失って生きるか 自分の世界を作っていきるかだ

というのをふと思い出した


つくっているものをそんなに好きにはなれないし関わりを深めていく人ではないのだけど、
そんなことは結構どうでもよくて、その人から多くを学ぶことのできた週末だった
それだけで結構満足







今日

2014年03月01日 | Weblog

感動をつくっていくプロが感動しなかったり

感動をつくっていくプロがわくわくしなかったり

感動をつくっていくプロが一番感動しなかったり

感動をつくっていくのはプロではできないような気がしたり

感動なんか余計なお世話だったり

感動もプロもどうでもよかったり

本当にどうでもよかったり

ただ感動したり

ただわくわくしたり

それだけのことで今日は良くも悪くも保っていたものもぼきっと折れてそれはやっぱりとてもいいことであった


わくわくを保つとかはその時点でもう限界を越えている


大人がわくわくすることをわくわくしながらやる

そういう言葉や理屈でどうにもならないものから解放されてはじめて

感動がその場を包むのであって

それを見つけて一緒にわくわくするのが私の役目である

あんまりわくわくに人それぞれ大差はないのである

わくわくすればいい

そのわくわくはとてもよい

明日からわくわくすることをちょっと味わうチャンスがある

おもしろい

ウルフルズ - どうでもよすぎ

よろこびのうた

2014年01月17日 | Weblog

作用の問題でいうと

古いものが新しいものに作用されようと
新しいものが古いものに作用されようと

フィルムがデジタルに作用されようと
デジタルがフィルムに作用されようと

プロレタリアートがブルジョアに作用されようと
ブルジョアがプロレタリアートに作用されようと

田舎が都会に作用されようと
都会が田舎に作用されようと

感性が思考に作用されようと
思考が感性にさようされようと

甘さが厳しさに作用されようと
厳しさが甘さに作用されようと

昨日が明日に作用されようと
明日が昨日に作用されようと

ロックがクラシックに作用されようと
クラシックがロックに作用されようと

影が光に作用されようと
光が影に作用されようと


どってことない
なんだってとてもおもしろい


籐兵ドンと農民たち:よろこびのうた



一本の木とかを夕暮れに撮る

2014年01月16日 | Weblog



東京に行っていた
多分私はもうあそこには3日と住めない
なんというかそう感じた

気を張れば4日かもしくは死ぬまで生きることができるかもしれない

それでいろいろと考えてみたのだけど
それはおもしろい発見だった
こちらに移り住んで度々東京に戻るがその度感じ方が考え方に追いつかないくらいに変化していておもしろい

東京という場所には個人的にいろいろと詰まっているので嫌いというよりはむしろとても好きである

生きているのだからいろいろ考えたり変わったりそれを受け入れたりおもしろいと思ってよいのだと思う
見ないふりしていたらもったいないのだと思う
そんな予断は許さないほど猛スピードであれこれと過ぎていくのである
だから自分を見ないとかは無駄である
とても嫌だがその瞬間その都度自分と向き合って受け入れる方が効率がよい

でも井の頭公園で踊り狂ったり
バンドのメンバーが見つからずにうだつのあがらない日々を過ごしたり
ヨーロッパが全然刺激的ではなかったり
アラスカやインドの方が精神をえぐったり
毎日知らない町をぶらついてシャターばかり切る日々を過ごしたり
客観的にみてみると事実それらは全てあの場所が教えてくれたことではあるし
そういう自分の一番の時期の速度と共にあったことを考えると
あの場所とういフィルターを通してよく自分がわかる


それで今ここにいるわけだが
それもやはり受け入れることができるわけでなく
では何があるんだろうかと思うと
ここの目の前にあるものではなくて
あそこにいたころに描いていたここであって
それは酷く抽象的なのだけど
ないものねだりでもあるのだけれど
あそこにいたころに描いていたここの景色ではないのだろうかと思う

これはとてもくだらないことだなーと思うのだけど
仕方がないのでここにいてそれをフィルムによって淡々とつくるしかないのである

ここにいるけれどあそこにいる精神であそこからみたここを表現する

あそこにいくまでにかつてここにいた時間を経てあそこにいた時間も経てまた再びここにいる時間も経てあそこにいた時間をここにいてつかむ作業を経てあそこからみたここは本当のここではないのだけど本当のここはあそこから観ていたここであるのかもしれないというここをあそこから撮る


おもしろい

フィルムはなんておもしろいのだろうか






列車 / LOST IN TIME













かるい

2014年01月11日 | Weblog

西成

天下茶屋

堺東

鶴橋

今里

新大阪

京都

デリー

コルカタ

ムンバイの国内線空港の周辺


たまに思い出しては聞きたくなる


いかる



クローズZERO & 浅井健一 リトルリンダ






光と闇についての考察

2014年01月09日 | Weblog



と言っても、特に何もない

道に似ているような気もする

遠回りか近道か、というような


遠回りを肯定する、とか
近道への羨み、とか
単純に焦り、とか


結局は満足しきれない現状にもなんとか自己肯定感を持っていないとかなり膝がガクブルな感じである

目の前や足元にあるものへの満足感とか、そういうものは元来の性かあるいは人生の時間に置けるメモリの区切りであるので人それぞれそのタイミングが訪れるのである
そしてそれは必ずよいものであると思う


あと一週間程でフィルムの現像がすむ

本当に嬉しい





another dawn - Chouchou