千葉シニアアンサンブル・それいゆ(CSE) 音楽の世界

毎週月曜午後花見川区畑コミュニティセンターで練習。弦楽器、管楽器募集中

私と音楽

2012-03-19 19:12:48 | 日記

                         馬嶋 良雄      2012・3・21

  「♪湯島通れば思いだす、お蔦ちからの心意気…♪」と歌ったのが小学校1・2年の時。担任の先生が「誰か何でもいいから歌を歌いなさい、では馬嶋君? それが私と音楽との最初の出会い。昭和23・4年の頃のことだった。とうとうと気持ち良く歌い、皆に拍手までもらって、俺って歌うまいんだな! とその日はご満悦だった。

 ところがどっこい。翌日、緊急職員会議。馬嶋はぐれている、他の子は「でんでんむしむし、とか、てんてん手鞠」なのに流行歌を歌った、ということで、早速担任から両親に厳重注意。特に唄の内容が子供には良くないとのこと。歌っている本人は内容なんて全然わかってない。

 両親曰く「門前の小僧習わぬ経を読むか…?」((笑)ということで、これからは学校では歌わないようにという注意のみでお咎めなし。その時代、わが北海道釧路市では「真空管型の電蓄」のある家はまれで、真空管が壊れると札幌から出張してきて、真空管を取り換えるという時代。近所の若者がレコードを買ってきては我が家で聴いていたため、小生、自然に覚えたのを歌っただけなんだがね…。一度目の音楽挫折。

                                                   

 二度目の音楽との出会い(学校の授業は別)は中学2年の時。音楽の先生から「NHKの全国音楽合唱大会」に当校も参加するので、君は音楽部員ではないが、練習に参加するように」と命令され、仕方なく参加。大会当日、当校の出番となり、ピアノ演奏が始まって、いざ合唱というところで、あれだけ練習したにも関わらず、舌が縺れて歌にならず、顔はひきつるは、喉はカラカラ。二度目の音楽挫折。

 三度目の音楽との出会いは、歌は緊張のあまり顎関節症になりそうなので、それでは楽器でも覚えようかということで、高校2年の修学旅行で、小遣いが余ったのを機に東京でマンドリンを購入。今、思いだせば、ミカン箱に針金を張ったような楽器で、腕も腕なら、楽器も楽器、よくあのような楽器で弾いていたなあと懐かしい。その後、大学のマンドリン楽部に入部。先輩にしごかれながら、何とか失敗も無く(本当は失敗だらけだったんだけど、ヤバそうなところは弾かないというテクニックを覚えた)今日に至っている。

 但し、CSEの皆さん、当楽団では真面目に弾いておりますので、誤解のないようにお願いします。弾いてないのは、お腹が空いている時か、疲れている時だけですので!

                                 

                                     

コメント (2)
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