私の音楽歴はまことにサッパリしたもので、音楽とは無縁の人生でした。 一番最初の記憶は幼稚園のころ「ひなまつり」の歌を歌っていたら父が「いぬぼうさきダネー」とのたまいました。 てっきり誉められたと思って「うたちゃんねー、いぬぼうさきなのー」と自慢していたのです。おバカでした。千葉県の皆様ならご存知ですね。いぬぼうさき、つまり犬吠崎、調子のはずれにあります。
次の記憶は中学3年の夏休み、無性にバイオリンが習いたくなって近所の幼稚園の園長さんに習いましたが、「トイ トイ ニ ト ハ」(多分音階の日本語読み)だけ習って夏休みが終わり、それっきり。 中学は「ドミソのわおんー。 シレソのわおんー。 ドファラのわおんー」と唱えた記憶だけです。 高校は選択科目で「ナントカノー♪ 雲白くー♪ ゆうしー流れるー」の1曲を習っただけのようです。 吾が高校には音楽部はコーラス部しかなく、コーラス部の男子が廊下を歌いながら歩いていると「この軟弱者!」と横目で睨んだものです。それ以来ずーと音楽と無縁の人生でした。
大人になってひょんな事からバイオリンを習い始め、1年も経たない時に生涯学習センターの「弦楽養成講座」の募集があり、怖いもの知らずで応募、人数が少なかったので無条件で採用。その時にバッハのガボットを弾きました。 TuttiとSoliの部分があり、たった2行足らずのSoliが弾けなくて、弾けなくて。相棒にご迷惑をおかけしました。 それが柏原さんです。
元カレの証拠写真。 私は後列の左から2番目にいます。 背後の古着屋のようなものは別の企画の展示物です。
魔がさしたとしか云いないのにバイオリンをなぜ始めたか。 多分小学3年の夏休みに親戚の家に泊まりに行ったとき、高校生の従姉がバイオリン科で一日中練習をしていたのが印象的で潜在意識に残ったのようです。 その従姉はその後フルブライト留学生でアメリカにいき帰国リサイタルを聞きに行きました。 実家は転勤族だったので従姉の演奏を聞いたのはその2回だけだったのですが、よっぽど強烈だったようです。 子供の頃は何でも経験しておくものですね。 だから花園小学校の生徒さんのために一生懸命弾きました!! 少しでもお役に立つといいですねー。
オシマイ。 mizobuti