Don't Kill the Earth

地球環境を愛する平凡な一市民が、つれづれなるままに環境問題や日常生活のあれやこれやを綴ったブログです

弁護士の二重構造化が意味するもの(その2)

2006年03月11日 08時09分15秒 | Weblog
 久保利英明先生(写真)は、私の尊敬する弁護士の一人である。彼の名は、一般人にとっては総会屋対策で有名だと思う。森・濱田松本法律事務所を日本トップレベル(弁護士数では長島・大野常松事務所に次いで第2位)のローファームに築き上げた人物といってよい。ところで、私の記憶に間違いがなければ、彼は、1年のうち約1ヶ月の休暇を、南の島で過ごしているはずである(だから色が黒いのか?)。馬車馬のようにしゃかりきに働いた報酬として得たものは、もともと手にしていた穏やかな生活と安らぎであるという、前回の寓話を思い起こさせる話である。
 さて、弁護士の二重構造化については、さまざまなレベルで語ることが可能である。バーディーは差当たり、哲学的なレベルで論じて見たいと思う。
 人間は、自分が所有しているものに常に飽き足らず、より多くを求めるものである。しかしながらその結果として得るものは、実際には既に手にしているものであることが多い。「オズの魔法使い」で、主人公のドロシーは、なんでも願いをかなえてくれるというオズの魔法使いに会ったものの、そこで得たものは、"There is no place like home"(我が家にまさるところなし)という教訓であった。「自分の家の庭より外に幸福を求めてはならない」。ショーペンハウアーもいうとおり、「幸福を自分の外に見出すのは不可能であり、それを自分のうちに見出すのは困難である」。
 …弁護士事務所の飽くなき巨大化路線がたどり着くのは、結局、分裂・小規模化、ということかもしれない。実際、久保利先生も、森・濱田松本法律事務所をスピンアウトして、比較的小さな事務所を構えていらっしゃる。「なーんだ、結局町弁じゃないか」と思う人もいるかもしれない。
 だが、昼間活発に活動すればするほど、眠りもより深いものとなり、次の日には爽やかな朝がやってくるものである。長い旅の末に再発見した幸福は、以前の幸福より輝きを増していることだろう。…最終的に行き着くところは同じであっても、以前の「町弁」とはいっぷう違って、より平和と安らぎに満ちた「町弁」の生活が待っているだろう。帰還したオデュッセウスを迎え入れる故国のように。
(もっとも、以上は寓話であって、実際の町弁の皆さんは多忙な生活を送っている。念のため。)                         (つづく)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 意見陳述書という名の「詩」 | トップ | 秘島めぐり(その1) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事