奥山寺・紅葉

2020年11月24日 | ドライブ
11/19(木),Tさんが出かけているA医院で昨日に来ていた患者さんが,
奥山寺の紅葉が綺麗だったと先生が言われたとか・・・・
ん~・・・昨日までの紅葉場所からは随分と南に位置するので綺麗だろうかと・・・
出かけたものの・・・やはりか・・・これの何処が綺麗と言えるのか。
がっかりしながらも来年の参考になるからと奥まで行ってみる事とする。
山門を通り過ぎて奥の駐車場にて・・・
風がとても強く・・・まるで森が騒いでいるように感じる。
騒ぐ風の音に囀る小鳥の声がかき消されてしまう。
この階段を上へあがると本堂だ。。。
Tさんが上がり切る迄撮影をしていたかったが・・・
この石段を今から追いかけて上がる元気がなく横の坂道から本堂を目指す。
参道を歩いていると木の実が落ちて来ているのでもないのに・・・・
コロコロ・・・コロンコロン・・・と,,,時には体にあたって痛い。
木の実が落ちて来ているのだろうかと周囲を見渡しても,
団栗のような木の実は何処にも落ちていない。
あの音は何だったんだろう・・・・
本堂に辿り着いて一番に感じたのが・・・あぁ~やはり・・・と気落ち。
遠くから写して画像にすればまだまだ見れるかなぁ~・・・なのだが。
近距離ではやはり葉の痛みが目立ち過ぎて・・・・
奥山寺の案内板があったのだが・・・文字が消えて判別出来ず。
本堂周辺の紅葉を観賞するには程遠く・・・
拝観をしてそうそうに帰路に就く。
本堂の向こうに見えるのが鐘楼
本堂の裏には

多宝塔が・・・
帰路には坂道の方からかと思えば・・・・
石段を1歩1歩降りていくTさん・・・
落ち葉で足を滑らせないかと心配をしている間に・・・
既にあんな遠くまで・・・早く追いかけなくては・・・
階段を降りた右手に地蔵堂・・・左手の方には経堂が・・・
経堂では紅葉した落ち葉で足元は赤い絨毯のようになって・・・・

経堂から石段を降り切ると地蔵院客殿があり,
その正面には不動院があったのだが,現在は廃絶になっている。
開基は法道であり白雉2年(651年)
孝徳天皇の勅願で創建したとされている。
しかし大宝3年(703年)に火災に遭い伽藍は焼失した。
その後養老2年(718年)に行基が当地を訪れて
寺の荒廃を嘆き再興したという。
慶長6年(1601年)に火災があり
伽藍が焼失したが慶長12年(1607年)に再建された。
貞享4年(1687年)に修理が行われたが
現在の本堂はこの時に建て替えられたものである。
伽藍は
本堂 貞享4年(1687年)の建立。
多宝塔 (兵庫県指定文化財)宝永6年(1709年)の建立。
仁王門 (加西市指定文化財)18世紀中期頃。
ゴロー・・・ただいまぁ~!
暖かい日は外で留守番・・・
今日は外の空気が割と冷たかったので家の中でお留守番でした。






猿回し

2020年11月23日 | ドライブ
11/18(水),高源寺にて猿回しを見かける。

拝観前は丁度最後の芸だったのだが・・・・
拝観後に通りかかった時は最後の公演の5分ほど前で・・・・
休憩中のゆう君の写真でも撮って帰ろうと思って正面の方へ歩いていると,
猿回しのお姉さんが太鼓を叩いて呼び込みを始める。。。。

こんな公演を見る事なんて2度とない経験と・・・
Tさんはやはり車で待っていると・・・
3密にならないように長いベンチを少しずつ離して4か所に。
3密のワンちゃんが可愛い・・・・
神戸モンキーズ劇場から遣って来ていると・・・・
猿は4足歩行と思うのだがとても姿勢がいい。
Tさんにも見習わせたいほどだ。準備運動を終わり公演を開始・・・・走り高跳びを
1段ずつ高くして・・・
一番高い段は自分の背丈ほどもあるけれども難なくこなして・・・
次は竹馬に乗って・・・・

遣り切って上手だろうと得意げな?
次は竹馬に乗ってハードルを飛び越えるのだが,
1つずつ数が増えていき・・・最後には,
5つのハードルを見事に飛び越えた。
次はこの跳び箱を少しずつ距離を開けて飛ぶのだが・・・
その前にゆう君の休憩も兼ねて暫しのお話を・・・・
一番幅広い距離を飛び越える事が出来た時には
大きな歓声と共に一番大きな拍手が沸き起こり

猿回しが終わった後・・・早く車に戻らなくてはと気が焦る。
休憩所が見えてくる。。。あぁ~帰りには甘酒で休憩しようね。。。。
なんて話しながら拝観して来たのにねぇ~
申し訳ない事をしてしまったと・・・タイ焼きを2枚購入して・・・。
コロナ禍の自粛で公演が出来ない時に名刺を作ったとか。
公演の最後の心付の時に記念に1枚ずつ頂戴する。







高源寺・紅葉

2020年11月22日 | ドライブ
11/18(水),Tさんが出かけている先のリハビリの先生から安国寺の紅葉が綺麗と聞いて来たのだが,
安国寺(豊岡市)はコロナの影響で拝観を中止していますと連絡を頂く。
2日連続で遠出のみならず歩き疲れているだろうから今日はゆっくりするか・・・と・・
ゆっくりするつもりが紅葉も終盤に差し掛かっているようで今しかないよね。
という事で高源寺へ向けて出発をする。
第2駐車場に止めるもやはり山門までが遠そうだ。。。
然し遠くに止めて正解だったかも・・・遥か向こうに小さく見える車の列。
石龕寺でも観光バスを見かけたが此処でもツアー客が来ているようだ。
ガイドのお兄さんが持っている小旗に京都観光って書いてあったのには吃驚。
拝観料を支払って惣門の方へ・・・
惣門は弘巌玄猊禅師が織田藩の援助を得て建立したもので
正面の額には弘巌玄猊禅師の筆による「丹丘勝処たんきゅうしょうしょ」の額があります。
Tさんは階段を避けて横の坂道を登っていきます。
山門が見えて来ました。
山門は別名「紫鳳楼しほうろう」と呼び,二階にはお釈迦様と十六羅漢が祭られています。
二階の天井には弘巌玄猊禅師筆による天女や経典の画が描かれています。
この建物も弘巌玄猊禅師の建立です。
山門の向こうに仏殿が見えています。
仏殿は灋王殿ほうおうでんともいいます。
中には高源寺の本尊「釈迦如来坐像」が祭られている。
山門に佇むと鐘楼の鐘の音が響いて来て厳かな気持ちになります。
仏殿の横の階段を上がると多宝塔と鐘楼があるようなのですが,
上まであがるとTさんを待たせる時間が途方もなく長くなりそうで諦める。
多宝塔の中には「輪蔵」という造りで経典が納めてあり,
正面には三国伝来の印度昆須鳩摩の作と伝えられる開運「毘沙門天」が祭られている。
この建物も弘巌玄猊禅師の建立によるものです。
仏殿の横には心字の池があり小さな滝がある。
おまけと言っちゃあ悪いけれど・・・・
開山の遠谿祖雄禅師が中国杭州の天目山で禅の修行をしてこられました。
その後丹波に帰り高源寺を建立しましたがその折に
中国天目山より持ち帰った楓の種を境内に植えた事で天目楓と呼ばれている。
心字の池で休憩中にイタグレの飼い主さんと久々に犬談議に花を咲かせて・・・
楽しい一時を過ごした後で帰路につきました。
帰路は私も坂道の方から・・・
画像は800×533サイズにリンク。








石龕寺・紅葉

2020年11月21日 | ドライブ
11/17(火), 念願の石龕寺です。
   今迄に何度も行きたいなぁ~と思いつつ距離を考えると言い出せずに。
   遠い遠いと思っていた石龕寺でしたが白毫寺よりも距離は短いようです。
念願の石龕寺とはいえ昨日の紅葉を思うと,,,,
ん~・・・あまり期待出来ないかもなぁ~
石龕寺駐車場にて拝観料を支払う時にTさんの歩行を見ていた(昔々の)お姉さんが,
上の駐車場(400m余り先)まで車で行けばいいと言って下さったので
お言葉に甘えて車で行くようにTさんに伝える。
警備をしていた(昔々の)お兄さんにも主人が車で通して頂きますと伝え,
私は紅葉の撮影の為に歩いていく事にする。
やはり悪い方の予感通りの紅葉・黄葉だなぁ~とがっかりしながらも
紅葉を撮影しながら歩いていると・・・ふと・・・あれ?
あの歩き方はTさんではないか?
気の弱いTさんは通行止めをしているお兄さんの前を通過する勇気がなかったようだ。
一言,伝えているからとTさんに言えば良かったね。
青空カフェで善哉を頂きながら休憩。
しっかりした突き立てのお餅でとても美味しかったです。
参拝した帰りには熱いコーヒーで休憩。
新米のもち米(1k)を購入。

さぁ~頑張りましょう・・・山門もまだまだ先です。
駐車場から400m余りと言っても上り坂なので距離が更に長く感じます。
やっと・・・向こうの方に山門が見えて来ました。
山門の仁王像(金剛力士像)は仁治三年(1242年)大仏師定慶の作で
日本で屈指の名作として現在国の重要文化財に指定されている。
山門で仁王さんを見て暫し休憩した後に車で待っているからと帰ろうとするTさん。
折角此処迄頑張って来たのだから本堂まで頑張ろうと励ます。
腰は大丈夫かなぁ~・・・
股関節に痛みは出ていないだろうかと心配しつつも紅葉を楽しみながら歩いていると
水琴窟の表示が見えて来ました。
前回来た時は水琴窟の音が響いていて何処からだろうと探したものでした。
水琴窟から降りて本堂へ向かいます。
おぉ~階段を上がるのかぁ~・・・と。心の声。
Tさんは黙々と前へ進んでいきます。
参拝を済ませた後は奥の院は諦めて焼尾神社の方から降りる事にします。
焼尾神社は仁治2年(1241年)の創建と伝えられている。
見上げるだけで気が遠くなりそうな階段に恐れをなして,
上まであがる元気もなく帰路に就く。
駐車場に設置されたお土産屋さん。。。という程でもないが,
大きな栗だったので丹波栗でしょうね。。。2袋。
Tさんに甘露煮を作った上げようと皮剥きを始めて夜なべをするも,
日付が変わっても終わる気配がなく全て剥き終わって冷凍保存にしてしまった。
吉祥草きちじょうそう・シクラメンの苔玉・雪の下。
Tさんには花を植えては枯らすのかと言われつつも自分に合う花を探して・・・求めて。
石龕寺の画像は800×533の大きさの画像にリンクをしています。

帰宅してベンチに寝ているゴローにご挨拶を。

話しかける度に1つ1つ返事を返してくれていたが
最後には大欠伸をして玄関の開いた音がすると一目散に飛んで行った・・・・








白毫寺・紅葉

2020年11月20日 | ドライブ
11/16(月), 玉葱の植え付けも完了して今季の畑仕事も一段落したので
        Tさんが歯科医院とリハビリに行っている間にお弁当を作って・・・・
お握りには塩をする代わりに縮緬雑魚を入れて卵焼きには茹でた菊芋とオクラを
塩胡椒で焼いた鶏肉の下には縮緬雑魚とすり胡麻で和えた法蓮草。
2人で食べるからこんなものかと思ったが量が多過ぎて満腹。
175号線を進んで白毫寺びゃくごうじへ紅葉狩りへと・・・
道中の黄葉 紅葉がもう悲しい姿を見せて
さてさて白毫寺の紅葉は如何ばかりかと思いを馳せる。
おぉ~水分かれ公園への案内板。
この景色を目にする度にチョコと歩いた公園が脳裏を駆け巡るのです。
公園で一緒に歩いたチョコを思い出していると
ふと,空を見上げるとまるでチョコが追いかけて来ているように見える雲が・・・・
あらっ!・・・撮り鉄さんという人に初めて出会う。
ソーシャルディスタンスというわけでもないだろうが
離れた場所ではキャンプ用の椅子だろうか。
椅子に座って待っている人も・・・・
これは福知山線の電車を待っているのですね。

白毫寺に近付くに連れて違うよねぇ~・・・
前に来た奥の院の山の上で感動した夕日を見たのは・・・・
Tさんの同級生に出会ったお寺じゃあないよねぇ~と。。。

奥の院へ通じる山道どころか奥の院のある山すらありません。
でも折角来たのだから紅葉を見て来ると・・・車を降りて・・・
まず一番に目に入ったのは七福神さんなのでしょうか7体おられるのですが。
Tさんは予定していたお寺と違うので車で待っているというので
折角此処迄来たので紅葉だけでもと独りで境内を歩いていたのだが,
池の向こうに見えるのは・・・Tさんではないか。。。
車へ戻っていく気配を見せていたので大急ぎで迎えに行く。。。。。
大きな石門を過ぎると右手に大きな太鼓橋がありました。
この橋の手前が私達の俗世界で反対側は仏達の覚りの世界を表しており
急勾配は悟りへの道程のの厳しさを表現しているそうです。
摩尼車は1回転させる事でお経を1回唱えた事になります。
微風もなく鏡面のように紅葉が池に映りとても美しく,
何時までも佇む事が出来たのでしたが・・・
この池は心の字を型どる一心池と呼ばれ大きな鯉が群れていました。
このような観賞には余り興味のないTさんは一通り見た後は車で待っているので,
何時までも時間をとる事も憚られ・・・先へ進む
池を離れると直ぐ傍には藤棚が・・・・

藤棚の奥に見えているのが孔雀です。
孔雀2羽が飼育されており毒蛇をも食べる事から転じて
外敵から仏教を守護する鳥として孔雀は仏教の守護神とされている。
この奥には本堂と回向本堂の右手には兵庫県の名庭100選にも選ばれている
安土桃山時代の作とされる「陰陽の庭」があるのだが,
此処へ辿り着く迄にも相当の時間を費やしてしまっているのでこののまま車へ。

白毫寺の画像は800×533サイズの画像にリンク。
綺麗に黄葉した大きな銀杏の木・・・真四角のようで面白い。

帰路は往路と違う最近に出来た新しい道から帰宅。
ナビには表示のない道を通って・・・
このバイパスはまだ途中までしか出来ておらず・・・
往路は遠くに見える工事中のバイパスの向こうの道から・・・

翌日に出かけた石龕寺からの帰宅は今日の往路と帰路の間にある道から帰宅。
増えて来た雲の間から陽の光が差し込んで・・・・

これも・・・棚田だよね。。。。
遠く斜面の上の方まで・・・・・

※ 白毫寺が予定していた目的地でなかった事で
  帰路で新たに兵庫県の紅葉を検索してみる。
  白毫寺から石龕寺までの距離を検索してみると
  40K足らずほどで40分程度
  ならば出直すよりはいいかと石龕寺を目指したが
  Tさんがスマホを忘れて来ているのでやはり出直す事となる。

それにしても出かけた事のない白毫寺の名前は何時も記憶の中にあるのに,
強い印象の残っている石龕寺の名前を記憶する事が出来ないのは何故なのか。