白黴

2021年01月31日 | 
まるで真綿のようにふわふわ・・・もこもこ・・・
思わず顔を埋めて頬をすりすりしたくなりそう・・・だが・・・
これは黴なのでそんな事をしちゃあいけない。
桜島小ミカンを収穫をした後でジャムにしたのはいいのだが,
冷凍庫と冷蔵庫に小分けをして保存。
暫くはパンに塗ったり焼いたケーキに塗ったりしていたが,
とうとう・・・忘れられた存在になってしまっていたのだ。

細い繊維状のカビがまだまだ成長途上のようですね。
まぁ・・この黴については然程に怖くもないが黴と一口に言っても種類は色々。
カマンベールチーズやブルーチーズの製造に用いられる黴も白カビの一種だし,
色が違ってはいるけれど青カビや黄カビの仲間であることが殆どだとか。
白カビがダニ等害虫の呼び水となる恐れや,
強力な毒素を持つものもいるという。。。所謂黴毒というものの事かも。
黴の胞子を吸い込めば喘息や鼻炎といったアレルギー症状を引き起こす可能性もある。
黴とは油断大敵な代物・・・という事か。




追憶

2021年01月30日 | ゴロー(猫)
オーブンを処分してしまってからケーキ作りから遠ざかっていたが,
昨年から炊飯器ケーキを作り出し・・・・ガトーショコラの余りの美味しさに,
再びケーキ作りに嵌りだしたのはいいが・・・・
糖質が即体重に反応する私は思うままに食べられないのが残念。
何しろ折角落ちた15kgもの脂肪。。。そうそう簡単に戻す事は出来ない。
その理由は体の調子がとても良い事。。。。
まるで10歳は若返ったような調子の良さなのでこれも簡単に手放す事は出来ない。
と言いつつ・・・・ケーキ作りを楽しみ・・・
高価なケーキを買う事は出来ないが自分で作れば簡単にケーキを食べられるものね。
今日は久し振りにチーズケーキを。。。。と,
徐に現れたゴロー。。。作業をしている材料には手を出さないのだが,

1つ洗い物が出来て流し台に置くと・・・・

洗い物が1つ1つ増える度にゴローの関心が増える。
このゴローの行動から今は亡きBellを思い出してしまった。
Bellも私の作業には・・・食材には興味はありません。。。
そんな態度をしているのでつい・・・
油断をするとあっというまに食材が無くなる。

Bellとカチュアはフェイントをかけるのが実に上手かった。
何度Bellのフェイントに騙されたことか。。。。
それも今となっては懐かしい思い出となってしまった。。。が,
ゴローがこうして共に生活をしている事で,
今迄の犬達と同じ行動を再現する事により
懐かしい思い出を楽しませてもらっている。

懐かしい画像はBell(シェルティ)とナッツ(アビシニアン)。





鳥を求めて

2021年01月29日 | 身近な生き物
1/21(木),楽しみにしてブログ散策をしている中に鳥撮りさんブログがある。
  私が一眼レフを持ち出したきっかけが素敵に花を撮影する方に憧れて‥‥
  自分も何時かあのような画像が写せるようになりたいと‥‥
  その方が亡くなられて5年になります。。。。
  時々・・・その方のブログを訪れるのですが,
  私の技術よりもカメラが進歩しているのでしょうね。
  あんなに憧れていた画像に感動が薄れてしまっているのです。
  一眼レフも2台目・・・3代目かも。
でも,その方が写していた感動の鳥画像は今でも見る事が出来ます。
それは今ブログ散策で見せて頂いている鳥撮影のブログ記事です。
何時か私もあのような鳥の姿を映す事が出来るようになりたいと‥‥憧れ続けています。
然しながら・・・バードウォッチングというものに全く関心のないTさん。
鳥だけの撮影なんて全く望めそうにないのですが‥・・・それが
やっと,念願が叶って白鳥を見に出かけます。。。。が,
此処最近は市内の池で全く姿を観なくなってしまった白鳥。。。。
前回に出かけてから十数年にはなるでしょうか。
鴨の撮影に夢中になっていると散歩途中のおじさんらしき2人が,
お正月には小白鳥が来ていたよ・・・と。
此方の池は岸辺で同じ方角を向いて日向ぼっこをしていました。
前回に来た時には綺麗に写せなかったものの沢山の白鳥で賑わっている池でした。
戻って来ると姿が見えないと思っていたTさんが東屋に居ました。
鳥を眺めながら話をしていると鴨達が一斉に飛び立っていき・・・
餌付けの餌遣りでしょうか。鴨達の賑やかな声が聞こえて来ます,
餌に近付こうとするのでしょうか。
賑やかな声と共に入れ代わり立ち代わりしながら羽搏いています。
飛んでいる鳥を取るのは無理でもこれなら写せるかとレンズを向けるのだが‥‥
やはり思うようにピントを合わす事が出来ません。
ならば戻って来る鴨にピントを合わせて待ってみたのだが‥‥
写した時は綺麗に撮影出来たと感じたのだが‥‥
PCに取り込んでみるとガッカリな画像が多すぎて‥‥
鴨の間を小さな雀が・・・・
畑で雀の声が戻って来たと言っても姿をめっきり見なくなってしまって。
雀の姿に胸がわくわくと躍る。
大きな鴨の合間をチョコチョコと歩く姿が可愛くてついつい見惚れてしまう。
鴨に夢中になっていると目の端っこの方の視角に白鷺の姿が‥‥
ゆったりと舞っている姿に何処へ向かうのかと追ってみる。
遠くてとても記念に残す程の画像でもないのだが,
僅か数分程度の時間ではあったがゆったりとした気持ちにさせてくれた記念に。
鴨に混じって大鷭オオバンか?
家鴨と鴨の雑種というのは理解出来るのだけれど‥‥
大鷭オオバンと鴨の混血というのはあるのだろうか?
鴨はカモ目カモ科で,大鷭はツル目クイナ科オオバン属に分類される鳥類という事なのだが。
体は鴨のようだが頭の様子が大鷭に見えるのは勘違いか?
記事をupする前に改めて頭の白い鴨として検索。
全く同じに見える画像を見つけ緋鳥鴨ひどりがもと表示されていました。
この頭の白い鴨は緋鳥鴨の雄のようです。
最後にもう一度鴨さんを・・・
この池は男池おいけ女池めいけがあり,冬季になると男池にはシベリアの極寒を避けて鴨の群れが飛来し,
女池には小白鳥が飛来するが餌となる真菰マコモが減りその数も減少しているとの事。
真菰マコモというのはイネ科マコモ属の多年草で別名ハナガツミ。




帰路で此方方面へ来ると何時も立ち寄るラーメン屋さん。。。。
食事をして帰ろうと思ったけれど‥‥やはり,コロナ禍の影響か。
準備中の札が立っていたものの中には人の気配がありませんでした。






42年目の新婚生活

2021年01月28日 | ドライブ
今から42年前の事‥‥
1979年1月11日・木曜日・・・
1979年1月16日・火曜日・・・
私はこの2回の結婚式をしている。。。。
11日は私の勤め先・・・
私にとっての恩人Mさんが須磨区行幸町・カトリック教会で開いてくださったのだ。
Mさんの友人とその子供さん達,私の母親と神戸に在住していた私の叔母が出席者。
後で聞いた処によると義母も出席したかったとか・・・。
この教会も26年前の震災で倒壊して今はない。
私の恩人Mさんも数年前に大切な思い出の人となってしまっている。
16日は出雲大社の分院で結婚式・・・自宅での披露宴だった。
今から55年前の交通事故により右足が不自由な私にとって
和室で正座をしての披露宴は苦痛でしかなかった。
私の精神的結婚式は神戸で済ませてしまっているので・・・
何てったってお見合いから結婚まで2回しか出会っていない。
Mさんとのお別れが悲しくて涙が溢れて止まらなかったが
本来の結婚式では何の感情も起きなかったのが正直な気持ち。
私達は新婚旅行どころかTさんに年間通しての休みというものが極端に少なく。。。。
偶に休みがあるとTさんの体を休める事を優先にしていたので,
殆ど出かけて娯楽をするという結婚生活ではなかった。
それが・・・3年前に突発的な転倒事故で退職を余儀なくされてしまったが,
其処からが私達の新婚生活が始まったようなものだ。
結婚してから40年余り生活にいっぱいで娯楽なんて事の経験がなく。
と言うよりも私の人生そのものに娯楽とは縁のないものだったが。
今・・・私に春が訪れているというか・・・暫しだけの春かもだが。
その春を今存分に楽しみたいと思う。。。。だって。
私はこの生活を目標に今迄の努力を重ねて実ったのだから。

1/19(火),今冬は何故か雪景色を見たがるTさん。。。。
 今迄自分から何かをしたいという事が殆どなかったので,
 Tさんの意思表示を大切にしたいと思ってはいるが。。。。
 雪景色のみならず吹雪の中を走る事に快感を覚えたようで困ったものだ。
とは言っても日本海の京都・福井方面は立ち往生する可能性があるので
道の駅・蒜山高原を目指す事に・・・
日本海側の岸壁の吹雪で自信を付けたのだろうか。雪のちらつく中を出発。
昨夜から天気予報は雪マークだったので積雪を期待していたが進むに連れて青空が。
それでも岡山に近付くに連れて山頂が白くなって‥・・・
中国縦貫自動車道から米子道へ
米子道ってトンネルが多いのね。
しかも距離も長い。それだけ大きな山を刳り貫いたって事ね。
米子道に入ると今迄の青空がと景色が一変し雲が重く雪が舞う。
ラッセル車を思わせるような車とすれ違う。除雪作業なのでしょうか。
米子道(蒜山IC)を降りてから県道114号線から蒜山高原線(県道422号線)を進み目的地へ,
目的地に到着してみれば案の定というか道の駅が雪に埋もれて人の気配がない。
さて 昼食をどうすべかと
戻るか進むか・・・で・・・このまま進行して鳥取方面へ。
この道は蒜山高原線(県道422号線)・・・途中では除雪する数台のブルドーザーと出会い
国道313号線から国道482号線へ車の通りが少なく道路が凍結した箇所もあり鳥取県美朝町に入る。
更に山道は続き周囲の景色は墨絵の様。482を直進して国道179号線を北上。
道の駅美朝楽市楽座にて食事処の看板に期待したが雪とコロナの影響でお休み。
虫抑えの大福餅と三笠を購入。
179を北上して国道9号線を目指し国道9号線より帰路に着く。。。
ととと。。。。またまた迷走して山陰道に乗り道の駅はわいにて昼食。
道の駅はわいを出ると国道9号線(山陰道)に入る。。。
道の駅わかいなば気楽里で休憩した後に再び山陰道へ。
山陰道に入ったと思っていたのが何時の間にか鳥取道だったという迷走ぶり。
道の駅から先の山陰道はナビに登録がなく画面が真っ白。
手元の地図には山陰道(建設中)と書いてあるので開通して間がないのだろうか。
ナビにいきなり表示が現れると鳥取道となっていて吃驚。
道の駅わかいなば気楽里を出てからわぁ~い海だぁ~と写真を撮ったが,
湖山池だった可能性が高そうだ。雪を被っている城は河原城。
鳥取道(国道373号線)から作用ジャンクションで中国自動車道へ。
中国縦貫道に入る頃には車の影も長くなって‥‥
中国縦貫道では「あおり運転は犯罪 ! 免許取り消し」とパトロールしていました。
ただいまぁ~・・・帰ったよぉ~ !

お帰り~・・・とは言ってくれないですが,
玄関まで迎えに出て来てくれました。






天命占い

2021年01月27日 | 日記
ブログ散策をしていて天命占いなるものを発見。
 生まれてきた意味
1951 年 2 月 2 日 生まれでO型のあなたの鑑定結果をお伝えしますね。
あなたのこれからの人生は、
あなたが本気で叶えたいという夢に向かって突き進めば、自分が思い描く成功を手にすることができます。
あなたは、とても好奇心が旺盛で、どちらかというと冒険心や競争心が強いところがあります。
困難を抱えれば抱えるほど、目の前の壁が高ければ高いほどに心の中は燃え上がるでしょう。
そのために楽な道を選ばず、あえて困難が多い方を選択することもあります。
なぜそれを選ぶかというと、乗り越えたときの嬉しさや、自分が大きく成長する喜びを知っているからです。
また負けず嫌いな性格も相まって、自分が取り組むことは一番を目指したいという気概を持っています。
その姿勢が周囲にはとても魅力的に映ります。
あなたがこの世に生まれてきた意味は、自分自身の中に思い描いている夢を現実にすることです。
それはどのようなものでも構いません。
あなたがパイオニアとして道を切り拓いていくことこそに意味があるのです。
あなたの宿命は、夢を叶えるためには大きな苦労を味わうこともあるでしょう。
しかしそのどれもが、人には真似できない、決して歩むことができないものです。
その分、多くの人に希望を与えたり、あなたの後に続く人たちも多く現れます。
人生の目的を知るためには、自分の使命と夢をしっかりと把握し、
どんな困難があっても乗り越えていく姿勢を示していると
自ずと「これだ!」というものに出会うことができます。
注意しなければならないことは、困難があっても決してあきらめないことです。
あなたが経験するのは他の人より困難が大きいと感じることもあるかもしれませんが、
あなただからこそ与えられた困難に対し、決して逃げないこと。
一つの方法がダメでも、他の方法でなんどもトライする
ねばりつよい姿勢を持っていれば必ず夢を叶えることができるでしょう。
あなたの人生をサポートしてくれるのは、まさしく自分自身の意志です。
「粘り強さ」というキーワードを大切に、道を切り拓いていきましょう。
それではこの占いの詳しい結果を見ていきましょう。
あなたの人生がさらにより良いものになりますように!
 夢を夢で終わらせない
あなたの使命は他の人が持っているものとは大きく質が異なります。
あなたが思い描いているものは、
これまでにない大きなビジョンである可能性がとても高いです。
もし、まだ出会っていないとしたら、
あなたの人生の使命や宿命を開花させるにはまだ早い時期だと言えるでしょう。
あなたは他の人にはない、大きな夢を叶えることができる使命を与えられています。
他の人が歩んだことがない分、モデルとなる人がいなかったり、
道を切り拓いていかなければならないので、苦労も伴うかもしれません。
しかし、どんなことがあってもあきらめない姿勢や
いろいろな方法を模索することでどんどん道が切り開かれていくでしょう。
道ができてしまえば、後に続く人はとても歩みやすいものになります。
臆せずに道を切り開くこと、また自分がパイオニアとして
一番先に歩むことであなたは大きな成功を手に入れることができるのです。
あなたが本気で願えばどんな夢も必ず実現します。
あなただからこそできることを見出し、全力投球することが大切です。




まぁ~当たるも八卦当たらぬも八卦。
でも・・・この占い。。。。全てとは言えないまでも
私の今迄の歩んで来た道に共通したものを感じている。。。。
私自身にパイオニアなんて大それたものが備わっているわけではないが,
小さな小さな規模の中。。。。
嫁いで来たS家の中にはとんでもないものを持ち込んだのかも。
だから最後の最後まで姑に嫌われて・・・でもね。
私は思っている。。。
Tさんの長兄は奔放な生活をした末に早世し・・・
三男は定年退職の年齢に達して尚・・・大きな借金を抱え‥‥
末っ子の四男はその日の生活にも事欠くような金銭感覚で
我が家への金の無心が止まらず私に一括された挙句に,
一昨年の春ステージIIIで胃の全摘手術を受ける。。。。。
根本からS家の人達と考え方が違い異端的存在だった私。
幸いにもTさんが私の言葉を受け入れてくれた事。
子供たちの育て方についても協力をしてくれた事。
自分の人生に境遇に絶望を感じながらも諦めもせず・・・
淡々とその時その時を自分の出来る事を誠実に真摯に向き合う事。
ただただ・・・その繰り返しの人生だったような。

まぁ~・・・要は自分の人生を投げ出さない事。捨てない事。諦めない事。
苦しみのある時は本当に辛い。。。28歳を目前に結婚するまでは苦痛の中にいた私。
その苦痛をどのように解決すればいいのかも分からずに踠いていた。
それでも自分の出来る事を誠意と誠実を続けて来たからこそ
今に繋がっているのだと思っている。

私はだからこそと思っている。。。
今・・・Tさんとゆったりとした穏やかな生活を過ごす事が出来ているのだと。
しかし双方の縁者に私達の此れからの爆弾となるであろう人がいるのも事実。
私の人生の使命や宿命を開花させるにはまだまだ早い時期のようだ。。。が,
仮にその爆弾が破裂したとしても‥‥その時に・・・
自分が出来る事を出来るだけ誠意と誠実をもって向き合うだけであると思っている。
私の思いが誰に通じなくてもいい。。。せめて・・・
私の子供達に人としてのお手本となれるような人生の終わり方をしたいとは思っている。