69歳を過ぎた私の母が「老いる」も何もあったものじゃあない。
今更何を言っているのだか・・・・私自身が「老い」の真っただ中にいるというのに。
チョコが亡くなった後に体調を崩していた私だが,久々に母を訪問する。
91歳を過ぎているので老化という意味の「老い」はあって当然とは思っていたが,
外観や食事に関して健康状態を不安にさせるものはなかった。
今迄は普通食を美味しく頂いたが食物が喉を通り難くなり
粥状の食事をしているとの事。嚥下力が落ちて来たという事になるのか。
昨年(2019)のクリスマスの日の食事の事。
この日の食事はちらし寿司。
味付けが自分の好みとぴったりで何時も楽しみにしていたが,
スタッフに食事をどうするかと尋ねられて断念して粥を選んだとの事。
外観からは然程の老化は見えずとも着実に進んで来ているのだろうか。
別れの日が近くなって来ているのだろうか。
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失明してからはうっすらと明かりが見えている程度。
なので室内で運動をする時も綿棒や紙の枚数を移動させる事で回数を数えていた母。
しかし・・・この数年はその回数も減って来ており動く事も辛くなって来ているのだろうか。
運動を少し見せてくれたので動画に収める。
今から40年前の事。
兄が自殺未遂から鬱病を発症。。。。本当はどちらが先だったのかは分からない。
私が結婚して間もなくの出来事であり事情は分からないのだが,
その時に兄の生涯における生活費さえも面倒を見る覚悟を決めた母。
息子の為に嫁いだ娘に迷惑を掛けられないという覚悟を決めたのだろう。
尋常ならざる覚悟であったと推察する。
そして自分が亡き後も生活出来るように息子の為の預金を始めたのだ。
自殺未遂以来殆ど職に就かなかった兄。
職を得ても肌に合わぬと止めてしまう兄。
母は70歳を過ぎてなお必死に働いて兄と二人暮らしをして来た。
現在は介護付き高齢者住宅にて生活をしている。
若い時から苦労を重ねて来た母であるが
やっと自然な笑顔を見る事が出来るようになった母。
それでも苦しい日々であるという。何が苦しいのかと尋ねると息子の行く末が・・・。
91歳の母は70歳の息子の行く末が心配で苦しいというのだ。
さもありなん・・・母とはそういうものだ。
自分が大切に思えば思う程・・・・
如何にお互いが自立をしていたとしても・・・「ふっ」と心に過るのだ。
40年間自分が働き支えて来た息子であれば猶更なのであろう。・・・が,
私には別の意味で歯痒くも苦しい日々を与えて来た2人でもある。
「人には其々に長短あり 互いに長を見 短を言わず 相補のうて生きねばならぬ」
この言葉は私が就学前に子供を道連れに自殺未遂を起こした時。
その時の担当検事さんから言われた言葉だと。
信仰に関わらずこの言葉を支えにして来たのだろう。
母はこの自殺未遂を起こす前に何度も実母に相談をしている。
耐え切れずに相談するもその実母も長女(私の母)の収入を糧に生活をしていたのだ。
「死ぬしかない」・・・・一言そのように言われたとか。
相談する相手も居ず・・・3人の子供を抱えた母は如何に耐え忍んだか。
子供一人を死なせたという母の重荷は如何ばかりであった事か。
母はこの時に離婚をしている。
父の親兄弟からは「金遣いが荒い女」と評されていた。。。。が,
それは実家への援助の為であった。
共働きであったので本来なら生活に困る筈のなかったもの。。。。
20歳過ぎてから見合い話を何件持ち込んでも見向きもしなかった娘は
28を目前にしてやっと嫁ぎ,,,,優秀な息子は大きな会社に就職をした後,
東京へ出て幾つかの資格を取得した後に大阪にて再就職。
これからという時だった。
母の苦労が報われる・・・此れからという時に兄が自殺未遂を起こしたのだ。
「 人はみな哀れなりけり 其々の十字架を背の旅路なりせば
行く道は遥けく遠く苦しくも いつか帰らん安息の故郷に」
母は失明をするまで多くの言葉をノートに書き残している。
「未来は遅行し現代は矢のようにとぶ しかして過去は万古 不動の位置にあり」シルレルの言葉
今でも諳んじているこれら幾つかの言葉は母の今でも消えぬ辛い歴史があるのだろう。
当時は離婚して帰って来た女は一人前の人間として認められなかったとか。
だからと言って母は今迄の苦労や弟から受けた仕打ちを恨んだりしてはいない。
今迄の苦労があるからこそ,自分が苦労のどん底に居ながらも困窮にある兄弟姉妹・・・
母は弟4人・妹2人の7人兄弟なのだ。
親に限らず苦境にある兄弟達さえも自分の出来る範囲の中で援助をして来たのだ。
母の援助の仕方は表立ってするのではなく・・・さりげなく。
それを金遣いの荒い女と誰が攻める事が出来るだろう。
私は自分の生まれ育った環境は最悪だった。。。。が,
この母の娘に生まれ育てられてからこそ,
我が身に降りかかる苦難を真っ直ぐに受け止め
苦難を憎み恨む事無く自分に出来うる限りの事を黙々と歩む事で
今の私になる事が出来たのだと感謝している。
私という人間は母の性格を基本とし,神戸のMさんにて
「人間とてしての在り方」のようなものを根付かせて頂いたと・・・。
今の自分があるのも母があればこそ・・・
今の自分があるのも神戸のMさんがおればこそと・・・
感謝せずにはおれぬ日々である。
今・現在が如何に苦しく辛くとも・・・・
今・目前にある苦しみに対して自分に出来る事を・・・
1つ1つ・・・誠実に取り組む事で前へ歩いて進む事が出来るのだと信じている。。。が,
其処には私にとって幸いであったのは・・・苦難の真っただ中・・・
自分に正しい判断を示してくれる人が現れる事だった。
人生69年を過ぎて・・・何度・・・この幸いに巡り合えたことか。
多くの方が自ら命を絶つ辛さを思うにつけて
我が身の幸いに感謝するばかりである。