神経を尖らせていた共謀罪の強行採決は回避されたが、この後も審議は続く。ほかに教育基本法改定案をはじめ、肝の冷えるような法案がまだまだ我々に襲いかかろうと手ぐすね引いている。そういう気分の悪い状況の中、それに追い打ちをかけるような情報が……。
!!石原慎太郎都知事、来年春の都知事選挙出馬に意欲!!
ぎゃああああ、マジかよお~という感じである。年も年だしそろそろ引退するのでは、とひそかに期待していたのだが……。私はこのブログでも何度か書いたが、石原慎太郎なる人物が苦手である。「嫌い」というより「苦手」という方が現時点の私の気分に近いので、今日はあえてこの言葉を使おうと思う(※1)。ほとんど天敵という感じで、彼の発言等に触れる機会があるたびに胃のあたりがおかしくなるほどだ。彼が都知事になる前から苦手な種類の人間の代表格だったが、単なる小説家であるならまだいい(むろん小説家をおとしめているわけではない。だが小説家は影響力はもっていても原則として権力は持たず、我々を直接的に脅かすことはないのだ)。
※1/あくまでも今現在の感覚だが、苦手感覚は嫌い感覚ほど鋭くないけれども、それだけに哀しみも深く、同じ空気を吸っているだけで自分の内臓が饐えてくるような、じわじわした――自分の存在の根源をせせら嗤われているような、知らず知らずのうちに血管に毒液を注ぎ込まれているような、そして地の果てまで逃亡したくなるような感覚、と言えばいいだろうか。
石原慎太郎が政治家になったのは1968年。この年に参院全国区でトップ当選した(そうだ。既にこの世に存在していたけれどもまだ都民ではなく、選挙権なんぞもなかった)。そして1999年に都知事に――。知事選の熱狂は今も覚えている。背筋がざわざわするほど不愉快だった記憶と共に。思えばあの年は、日本が今日の危機的状況のとば口に立った時だったかも知れない。確か国旗国歌法が成立した年でもあるし。
石原慎太郎の政治姿勢?その他については緻密に批判している方が大勢おられるので、わざわざそんなことをなぞる気はない。私が彼を苦手とする1番の理由は、彼が「ヒトの心を支配すること」を歓びとする人間だからだ。――いや、表現がおかしいかな、こう言った方が近いかな、「心の支配は一見迂遠に見えて、実は最も確実な方法であることを知っており、それを希求する人間である」からだと。
東京在住の方はよく御存知だろうが、彼は都知事に就任した時に「心の東京革命」を提唱した。そして2000年に「心の東京革命推進協議会」が創られた。ちょうどこの頃、私はある出版社の企画に協力する形で、教育問題を巡ってちまちまと取材を続けていた。だから協議会創設時の衝撃は他人事ではなかったし、「これから来るもの」を垣間見た気がして仲間とかなり真面目に話を重ねたことも覚えている(それでも実際には何ら実のあることを出来なかった自分を私は今、心の底から呪う※2)。
※2/またしても酔っている。夜遅く友人に会い、明け方近くまでちびちびと飲んで、戻ってきたところなのだ。私は取材とちょっとした報道文章を書くことなどで生活している人間なので、それゆえに――というべきか、何かを書くことに対して穴があったら入りたいほどの羞恥とおそれを感じる。それならばブログなんか書かねばいいようなものだが、やむにやまれず発作的に始めてしまったのだ……ほんとにアホみたいな話。今でも発信ということに対するおそれは消えず、アルコールが入らないとなかなかブログを更新できない……。体質的に酒に弱いので、ほんのちょっぴり舐めるだけで軽く酔い、気が大きくなって恥もかける(おまえの発信なんか毒にも薬にもならないから勝手にほざいてろって? あは、失礼しました)。
話を本題に戻す。
「心の東京革命協議会」が言っていることは、字面を眺めるだけならさして問題はない。
【「心の東京革命」は、親や大人が子どもたちに正面から向き合い、関わっていこうという呼びかけであり、次代を担う子どもたちに対し、親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやりの心を育み、人が生きていく上で当然の心得を伝えていく取組です】(協議会サイトより)
提唱している「心の東京ルール」も、字面そのものは別に問題はない。いや、私の感覚としては問題あるのだが、「あ、そう」ですむ程度のことだ。こういうことを言う(良心的?な)人は世の中に多いし。ちなみに「心の東京ルール」は7つ。
○毎日きちんと挨拶させよう
○他人の子供でも叱ろう
○子供に手伝いをさせよう
○ねだる子供に我慢をさせよう
○先人や目上の人を敬う心を育てよう
○体験の中で子供を鍛えよう
○子供にその日のことを話させよう
まあ挨拶というのはコミュニケーションの始まりだし、他人の子供でも叱った方がいいし(もっとも私は“自分の子供”を持っていない。ごく若い頃に自分という存在に憎悪に近い感情を持ち、自分の遺伝子を持った人間をこの世に送り出すことに腰が引けてしまった人間である。だから他人の子供と言われてもピンとこず、子供という子供はみんな等距離だけれども)、先人や目上の人を敬うのも結構でしょう。しかし……そういう「モラル」は、上から指示するものではないでしょうよ。
権力を握った人間がモラリストを気取る時は、私達はよほど警戒しなければいけない。江戸時代、オカミは「親孝行」な人間を賞賛し、多分わずかではあろうけれども報償を与えたりもした。いや、親孝行はいいんですよ。私は親不孝な人間だが、それでも人並みに孝行してやりたい気持ちは持っている(少々マザコンだし)。
だが、モラルなんてえものは、オカミが規定し、判断するものじゃない。
オカミが「モラル」を看板に掲げる時は赤信号――と私の感覚は告げる。モラルは我々庶民の砦であり、オカミに奪われてはならない。と言うか、モラルなんて規定し、強制するものではないはずだ。規定して強制した瞬間に、「モラル」は薄汚い看板に成り下がる。以前のエントリで「言葉を奪い返そう」と言ったが、奪い返すものはおそらく言葉だけではない。モラルも、また――。
ちょっと前になるけれども、Under the Snn の「日替わりコラム」で、石原慎太郎が脚本を書いたという映画について触れた。ついでと言っては何だけれども、その部分をコピーしておく。
【だがいくら船出好きの私でも、御免被りたい出発はある。去る7日、石原慎太郎都知事(※)脚本・製作の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の制作発表がおこなわれた。民主党代表選出のニュースも幾分か気が重くなったが、ゾクッとする度合いはこっちの方が大きかったかも知れない。「特攻隊員たちの散りゆく青春を描いた作品」だそうだが、(脚本を読んでおらず、完成も待たずにこんなことを言うのは乱暴かも知れないが……あえて言う)これは愛国戦争プロパガンダ映画である。
※都知事なんかどうでもいい、という人もおられるかも知れないが、不幸にして私は都民(都民税もきっちり払っている)。気にせずにはおれないのだ。私の天敵のひとり、と言ってもいい。
記者会見場には「特攻隊員を演じた役者たちが特攻隊の姿で整列し、報道陣を敬礼で出迎えた」らしい。業務命令で記者会見に行かされた記者のかたがた、仕事とはいえ、本当に気の毒なことである(私ならどうしたかな。忙しいんで別の人に~と逃げまくり、どうしてもダメならこれも給料のうちとかブツブツ言いながら、仏頂面下げて行っただろうな……)。まさか、感動はしなかっただろうネ? 主演の窪塚洋介は自衛隊の訓練にも参加したそうで、会見では「未来の礎となってくれた英霊に、感謝と尊敬をもって自分の役を演じたいと思う」と語ったとか。英霊……英霊!! そんな言葉がいつ甦ったのか。私は聞いてないぞ。
私は「君のために死にに行」きたくなどなく、「君のために死にに行」ってほしくもない。君のために死ぬなどと言われれば、言われた方が迷惑だろう。こういうのを「自己陶酔的押しつけ」、いや、「精神的無理心中」、もっとくだけるなら「大きなお世話」と言う。子供や恋人から「ママ、僕はママのために死にに行くからね」「オレ、あんたのために死にに行くからさあ」と言われて喜ぶ女性がいるだろうか(もしいたら、是非ともインタビューに行ってみたい)。「ああ弟よ君を泣く、君死にたまふことなかれ」というのが普通の感覚ではあるまいか。】(コピー了)
ああ、心の支配! 私はこれが一番恐ろしい。行動に対する規制ならば、抜け道を考えることができる。だが心に対する規制に抜け道はない。
追記/散漫なエントリだなあ。かなり酔ってるかも知れない……。ちょっと仕事が忙しかったのと、ヤなことがいろいろあるせいで、このところ少々ウツっぽい。(単なる私事だけれど)危篤の報を受け、通夜に参列したことも、冥い気分に拍車をかけている。すべてを捨てて出家遁世?してしまえない自分が情けなくもある。「失うものは鉄鎖のみ」とカッコヨク言いたいけれど……。あああああ。少し寝よう(睡眠時間は最低ゼロ、最高10ン時間という無茶苦茶な生活。でも地を這うように暮らしている人間にも心はあり、それだけは売り渡したくない……膝がガクガク震えるほど恐がりながら言っているのだけれども)。覗いていただいた方、相も変わらぬ言い散らし、すみません。
!!石原慎太郎都知事、来年春の都知事選挙出馬に意欲!!
ぎゃああああ、マジかよお~という感じである。年も年だしそろそろ引退するのでは、とひそかに期待していたのだが……。私はこのブログでも何度か書いたが、石原慎太郎なる人物が苦手である。「嫌い」というより「苦手」という方が現時点の私の気分に近いので、今日はあえてこの言葉を使おうと思う(※1)。ほとんど天敵という感じで、彼の発言等に触れる機会があるたびに胃のあたりがおかしくなるほどだ。彼が都知事になる前から苦手な種類の人間の代表格だったが、単なる小説家であるならまだいい(むろん小説家をおとしめているわけではない。だが小説家は影響力はもっていても原則として権力は持たず、我々を直接的に脅かすことはないのだ)。
※1/あくまでも今現在の感覚だが、苦手感覚は嫌い感覚ほど鋭くないけれども、それだけに哀しみも深く、同じ空気を吸っているだけで自分の内臓が饐えてくるような、じわじわした――自分の存在の根源をせせら嗤われているような、知らず知らずのうちに血管に毒液を注ぎ込まれているような、そして地の果てまで逃亡したくなるような感覚、と言えばいいだろうか。
石原慎太郎が政治家になったのは1968年。この年に参院全国区でトップ当選した(そうだ。既にこの世に存在していたけれどもまだ都民ではなく、選挙権なんぞもなかった)。そして1999年に都知事に――。知事選の熱狂は今も覚えている。背筋がざわざわするほど不愉快だった記憶と共に。思えばあの年は、日本が今日の危機的状況のとば口に立った時だったかも知れない。確か国旗国歌法が成立した年でもあるし。
石原慎太郎の政治姿勢?その他については緻密に批判している方が大勢おられるので、わざわざそんなことをなぞる気はない。私が彼を苦手とする1番の理由は、彼が「ヒトの心を支配すること」を歓びとする人間だからだ。――いや、表現がおかしいかな、こう言った方が近いかな、「心の支配は一見迂遠に見えて、実は最も確実な方法であることを知っており、それを希求する人間である」からだと。
東京在住の方はよく御存知だろうが、彼は都知事に就任した時に「心の東京革命」を提唱した。そして2000年に「心の東京革命推進協議会」が創られた。ちょうどこの頃、私はある出版社の企画に協力する形で、教育問題を巡ってちまちまと取材を続けていた。だから協議会創設時の衝撃は他人事ではなかったし、「これから来るもの」を垣間見た気がして仲間とかなり真面目に話を重ねたことも覚えている(それでも実際には何ら実のあることを出来なかった自分を私は今、心の底から呪う※2)。
※2/またしても酔っている。夜遅く友人に会い、明け方近くまでちびちびと飲んで、戻ってきたところなのだ。私は取材とちょっとした報道文章を書くことなどで生活している人間なので、それゆえに――というべきか、何かを書くことに対して穴があったら入りたいほどの羞恥とおそれを感じる。それならばブログなんか書かねばいいようなものだが、やむにやまれず発作的に始めてしまったのだ……ほんとにアホみたいな話。今でも発信ということに対するおそれは消えず、アルコールが入らないとなかなかブログを更新できない……。体質的に酒に弱いので、ほんのちょっぴり舐めるだけで軽く酔い、気が大きくなって恥もかける(おまえの発信なんか毒にも薬にもならないから勝手にほざいてろって? あは、失礼しました)。
話を本題に戻す。
「心の東京革命協議会」が言っていることは、字面を眺めるだけならさして問題はない。
【「心の東京革命」は、親や大人が子どもたちに正面から向き合い、関わっていこうという呼びかけであり、次代を担う子どもたちに対し、親と大人が責任をもって正義感や倫理観、思いやりの心を育み、人が生きていく上で当然の心得を伝えていく取組です】(協議会サイトより)
提唱している「心の東京ルール」も、字面そのものは別に問題はない。いや、私の感覚としては問題あるのだが、「あ、そう」ですむ程度のことだ。こういうことを言う(良心的?な)人は世の中に多いし。ちなみに「心の東京ルール」は7つ。
○毎日きちんと挨拶させよう
○他人の子供でも叱ろう
○子供に手伝いをさせよう
○ねだる子供に我慢をさせよう
○先人や目上の人を敬う心を育てよう
○体験の中で子供を鍛えよう
○子供にその日のことを話させよう
まあ挨拶というのはコミュニケーションの始まりだし、他人の子供でも叱った方がいいし(もっとも私は“自分の子供”を持っていない。ごく若い頃に自分という存在に憎悪に近い感情を持ち、自分の遺伝子を持った人間をこの世に送り出すことに腰が引けてしまった人間である。だから他人の子供と言われてもピンとこず、子供という子供はみんな等距離だけれども)、先人や目上の人を敬うのも結構でしょう。しかし……そういう「モラル」は、上から指示するものではないでしょうよ。
権力を握った人間がモラリストを気取る時は、私達はよほど警戒しなければいけない。江戸時代、オカミは「親孝行」な人間を賞賛し、多分わずかではあろうけれども報償を与えたりもした。いや、親孝行はいいんですよ。私は親不孝な人間だが、それでも人並みに孝行してやりたい気持ちは持っている(少々マザコンだし)。
だが、モラルなんてえものは、オカミが規定し、判断するものじゃない。
オカミが「モラル」を看板に掲げる時は赤信号――と私の感覚は告げる。モラルは我々庶民の砦であり、オカミに奪われてはならない。と言うか、モラルなんて規定し、強制するものではないはずだ。規定して強制した瞬間に、「モラル」は薄汚い看板に成り下がる。以前のエントリで「言葉を奪い返そう」と言ったが、奪い返すものはおそらく言葉だけではない。モラルも、また――。
ちょっと前になるけれども、Under the Snn の「日替わりコラム」で、石原慎太郎が脚本を書いたという映画について触れた。ついでと言っては何だけれども、その部分をコピーしておく。
【だがいくら船出好きの私でも、御免被りたい出発はある。去る7日、石原慎太郎都知事(※)脚本・製作の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』の制作発表がおこなわれた。民主党代表選出のニュースも幾分か気が重くなったが、ゾクッとする度合いはこっちの方が大きかったかも知れない。「特攻隊員たちの散りゆく青春を描いた作品」だそうだが、(脚本を読んでおらず、完成も待たずにこんなことを言うのは乱暴かも知れないが……あえて言う)これは愛国戦争プロパガンダ映画である。
※都知事なんかどうでもいい、という人もおられるかも知れないが、不幸にして私は都民(都民税もきっちり払っている)。気にせずにはおれないのだ。私の天敵のひとり、と言ってもいい。
記者会見場には「特攻隊員を演じた役者たちが特攻隊の姿で整列し、報道陣を敬礼で出迎えた」らしい。業務命令で記者会見に行かされた記者のかたがた、仕事とはいえ、本当に気の毒なことである(私ならどうしたかな。忙しいんで別の人に~と逃げまくり、どうしてもダメならこれも給料のうちとかブツブツ言いながら、仏頂面下げて行っただろうな……)。まさか、感動はしなかっただろうネ? 主演の窪塚洋介は自衛隊の訓練にも参加したそうで、会見では「未来の礎となってくれた英霊に、感謝と尊敬をもって自分の役を演じたいと思う」と語ったとか。英霊……英霊!! そんな言葉がいつ甦ったのか。私は聞いてないぞ。
私は「君のために死にに行」きたくなどなく、「君のために死にに行」ってほしくもない。君のために死ぬなどと言われれば、言われた方が迷惑だろう。こういうのを「自己陶酔的押しつけ」、いや、「精神的無理心中」、もっとくだけるなら「大きなお世話」と言う。子供や恋人から「ママ、僕はママのために死にに行くからね」「オレ、あんたのために死にに行くからさあ」と言われて喜ぶ女性がいるだろうか(もしいたら、是非ともインタビューに行ってみたい)。「ああ弟よ君を泣く、君死にたまふことなかれ」というのが普通の感覚ではあるまいか。】(コピー了)
ああ、心の支配! 私はこれが一番恐ろしい。行動に対する規制ならば、抜け道を考えることができる。だが心に対する規制に抜け道はない。
追記/散漫なエントリだなあ。かなり酔ってるかも知れない……。ちょっと仕事が忙しかったのと、ヤなことがいろいろあるせいで、このところ少々ウツっぽい。(単なる私事だけれど)危篤の報を受け、通夜に参列したことも、冥い気分に拍車をかけている。すべてを捨てて出家遁世?してしまえない自分が情けなくもある。「失うものは鉄鎖のみ」とカッコヨク言いたいけれど……。あああああ。少し寝よう(睡眠時間は最低ゼロ、最高10ン時間という無茶苦茶な生活。でも地を這うように暮らしている人間にも心はあり、それだけは売り渡したくない……膝がガクガク震えるほど恐がりながら言っているのだけれども)。覗いていただいた方、相も変わらぬ言い散らし、すみません。
昔、知り合いの高校生が、民主主義を否定して、少数の優秀な人間が政治を行うのが良い、といったことを思い出します。彼はきっと、自分もそのエリートの一員になれると思って言ったのでしょうが。あれを聞いたときは、ひっくり返るほどびっくりしました。
自分の思うままに東京都という日本一大きな自治体を動かす醍醐味を覚えてしまった……何十年かに1度の怪談、悪夢。
馬鹿なやつらは俺のことを聞いておけばいい、という声に、毎晩うなされそうです。都民でなくとも、イヤだ。
まったく同じ気持ちです。
都知事や首相のような人たちが何故人気があるのか?
どう考えても分かりません・・・。
戸塚のやった事は、石原慎太郎の教育方針を先取りした理想の教育です。
戸塚宏によると、教育とは子供に恐怖を与えることだそうです。
恐怖によって生徒の自主性を引き出すのだそうです。
石原慎太郎が三選を考えているのは、都立学校を全部戸塚スクール風にしたいからです。東京都民で無くて本当に良かった。知事が助平でも極悪人で無い分、少しだけ幸せです。
はっきり言って都政はサイアクだと思います。
石原三選阻止・東京オリンピック回避、でリンクでもつくろうかしらん。
布引さん、
> 知事が助平でも極悪人で無い分、少しだけ幸せです。
ほんと、スケベのほうがずっとましですね。私は都知事が「極悪人」だとは思っていません。極悪人ではなく「我々を怯えさせる類の幻想にとりつかれた強引な奴」だから、余計始末が悪いんです。そういえば戸塚宏の出所にあたって、「彼の教育方針は正しい。これからも応援する」みたいなメッセージを発表してましたね。彼は都民を戸塚ヨットスクール生のように扱いたいらしい。
朱夏さん、やりますか、三選阻止。
ささきまきさんの有名なロングセラー絵本で,福音館書店から出ている『やっぱりおおかみ』というのがあります。
まさに,おかみ → おおかみ,ですね(笑)
# スケベと言えば,苫小牧市長は辞職だそうですが,石原は辞めないみたいです(笑)
とにかく,ああいう人は,かっこいい精神論はぶつけれども,自分では決して軍隊にも特攻にも行こうとはしないでしょう.無論自分の息子たちにも行かせません.(仮に,息子が志願したとしても必死で止めるでしょう.)
また,石原さんがいかにも女性に対して綺麗であるかのようですが,あの人は本質的に女性蔑視の本家みたいな人です.ですから表に出ないセクハラ問題は周辺にたくさんある,と想像しています.(尤も,自分の方から身を売る女性も多いことでしょうが).
最近はやりの「冬ソナ」というパチンコ台があって,ヨン様の顔が揃ったら大当たり,で「ババア」がパチンコ屋へ詰め掛けているとか。
石原ブレーンも,有権者なんてその程度のものだ,くらいにせせら笑っているのではないかなと思ってたりします。あの極端なエリート主義は嫌いですね。たまたま一橋に受かっただけで,自分を賢いと思ってるんだから,余計にタチが悪いです。
# アホなことを自覚してお天気お兄さんやってる次男坊の方がずっとましだ(笑)