華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

久しぶりの寝言

2007-07-21 23:59:04 | 箸休め的無駄話

 慌ただしい出張から戻り、10時前からちびちび飲み始めて既に酩酊寸前(下戸なのである。酒代がかからなくてよいのだ、というのは下戸の負け惜しみ)。私はいい加減な人間で、仕事の経費の記録も本の整理も家の片付けも、「忙しいから後回し」などと言ってさぼっているうちにそのままになったりする。ブログも同じことで、ほったらかしにしていると自分がネット上でブログなどやっていたことも忘れてしまいそうになってきた(笑)。大したブログじゃない、たかが個人の寝言だから忘れっぱなしでも全然かまわないのだけれど、酔ったついでにたまには書こう……。

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 なぜか自分でもよくわからないが、超多忙な日々が続くまま7月も下旬。自宅で寝てない日のほうがずっと多かったのではないか。……という感じでしょうもなくあくせく暮らしているうちに、いつのまにか(という感覚で)参院選の投票日も間近に迫ってきた。掲示板に、「日本人に生まれてよかった」(日本に生まれてよかった、だったかな)などと麗々しく書いたポスターが貼ってあり、通るたびに目に入って、そのつど反吐が出そうになる。卑しい人間が「美しい国」と語り、それに対する阿諛が蔓延する。

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 つい先日、宮本顕治が死んだ。98歳であったという。訃報に接した瞬間の感想は、変な言い方だが――「あっ、ミヤケンは生きていたんだ」。彼が引退――というのだろうか、政治の表舞台から退いて久しかったのだ。

 私が10代半ばの子供のころ、彼はたしか共産党の委員長だった。もしかすると議長になっていたかな? いや、多分委員長だったはずだ。ともかく共産党のトップであることは間違いなく、その肩書きでの発言も少しは目や耳をかすめていたはずなのだが、それよりも私にとっての宮本顕治は、むしろ文芸評論家というのか文学研究者というのか……ともかくそういう匂いが濃かったように思う。それは多分、著作のうち一番最初に読んだのが『「敗北」の文学』だったせいだ。半世紀余りの間に無数の評論家や研究者によって馬に食わせるほど書かれた(その多くは消えてしまったのだろうが……)文芸評論のなかで、出色のもののひとつだと今でも思う。

 その後、社会思想系の論文なども少し読んだけれども、まだ私の中で「ミヤケン」は共産党の元議長というより、マルキシストとしての視点から文学を論じた論客、あるいは小説というものの力と怖さを知っていたマルキシスト、と呼んだほうがしっくりする。……宮本百合子との往復書簡を読み直したくなった。その前に『「敗北」の文学』読み直す方が先かな。

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 戸倉多香子さんを応援しています。

コメント (1)
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