華氏451度

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「憲法問題は関心が低いから最低投票率を設けられない」!?

2007-04-16 23:02:30 | 憲法その他法律

 何と申しましょうか……。

 国民投票法案は16日に参院本会議で審議入りした。その席上で簗瀬進議員(民主党)の質問に対して自民党の党憲法調査会会長・保岡興治衆議院議員が答弁に立ち、最低投票率について「国民の関心の薄い憲法改正においては最低基準に達しない可能性がある」と言ったそうだ。

「な、なぬ???」と耳を疑ったのは、私だけではあるまい。はン、関心の薄い問題だから投票する人は少ないだろう、だから最低投票率の設定はできないのだ――という意味ですか。どれほど与党の言い分を好意的に解釈したい人にも、そうとしか聞こえないはずだ。違いますかね。

 憲法というのは国の「基本方針」を決めるもの。この国をどんなふうに形作りたいか、どんな方向を目指したいかを規定するものである。学校でいえば建学の精神に相当する。不磨の大典などとは言わない。必要があれば変えてもかまわないとは思うけれども、変えるのは「よほどの時」である。まずは、革命なりクーデターなりによって国の形態が変わったとき(もし天皇制が廃止されたら、当然いまの憲法は変えざるを得ませんね)。それから多くの国民がその憲法によって不利益を被り、変えたいと悲鳴を上げた時だ。「何十年も変えていないから」と、いじくるものではあるまい。車やパソコンのモデル・チェンジじゃあるまいし。やや言葉が古いというのは確かかも知れないが、源氏物語ふうの、古語辞典と首っ引きでなければわからない文章ではない。誰でも意味はよくわかる。いいじゃないですか、それで。少なくとも私は何ら支障を感じていない。言葉というものは表層的な部分などは刻々と変わるが、一見古くさく見えようとも根幹の部分はおいそれと変わるものではないのだ。そんな、安っぽいものじゃあない。

 憲法を変えて欲しい、変えてもらわなければ我々は苦痛で耐えられない――と叫んでいる国民が、いったいどれだけいるのか。むろんいるでしょう、いるでしょうけれども、それが大多数だとは私は思わない。

 憲法に関して、国民の関心が薄い――というのは、ある意味で事実だと思う。だがそれは憲法が国民の間に浸透し、国民がその憲法に安心して身を委ねている証左でもある。たとえば人間関係においても、ピリピリと意識するのは疑念を持つ時、そして危機に瀕した時だ。さして問題がなければ、ことさらには意識しない(意識することが正しいのかどうか、常に意識しておくべきかどうか、さらに言えば意識しておくことの意味などについては、話が別である)。普段は特に考えもしないけれども、深層意識の中にしっかりと根付いている。基本方針というのは、元来がそういうものである。

 その「国民の多くが合意している国の基本方針」を、安倍政権は強引に変えようとしている。関心が薄い(と言うより、私の感覚では空気のように自然に共有されている)憲法の精神を、やみくもにドブに叩き込もうとしているのだ。脈々と息づいてきた庶民の感覚を強姦しようとしている、と言ってもいい(強姦なんて言葉を使うと、またしても18禁系TBが殺到するかなあ……ほんと、いい加減にしてくれ。削除するのは結構面倒、というか時間を無駄にしている感じに苛まれるんだからね)。

 関心が薄いから、最低投票率の基準に達しない可能性がある? はい、よく言ってくれました。これは安倍政権の正体をまざまざと見せる言葉であると私は思う。国民があまり関心持たないうちに、ドサクサ紛れに何もかもやってしまおうという。

 改憲がこの国の未来にとってプラスであると本当に思っているなら、それこそ「万機公論に決すべし」(わっ、明治初頭の話)。多くの国民が現憲法の精神を無意識のうちに信頼し、とは言っても日々の生活に追われて憲法のことを切羽詰まって考えておれないうちに、ドタバタと改憲しようなんて、そりゃズルイんでないの。

 国会議員のセンセーがたに言う。私はあなたたちに、国のゆくえを勝手に決める権限まで渡したつもりはこれっぽっちもありません。国民をバカにするのはいい加減にした方がいい。民衆は「愚」であるほうが楽なのだろうが、あなたたちが思っているほど、そしてその地平にとどめたいとひそかに願っているほどには愚かではない。ついでに言うと、目覚めた者は一部であり、その目覚めた者達は今なお眠り続けている大衆を啓蒙せねばならない――という熱にも私は組みしない。庶民は、眠り続けてなどいない。怯えおののきながらも、自分とそして自分の子孫達の命にかかわるものとして、この国のゆくえに激しい疑義を呈している――と私は信じる。なぜならば……思い上がりと言われてもいい、いい気なものだと言われてもいい、それでもなお、私は自分もまた庶民のひとりであると確信しているからである。いざとなれば徴兵されて戦場に狩り出され、ちょっと違うよなあと思いながらも流されてしまいかねない庶民、逮捕されて脅されればすぐに震え上がり、ヘコヘコと頭下げて転向してしまうであろう心弱い庶民であると。

 強くありたいと幼い頃から願ったが、ついにこの年まで強くなれなかった。しかしそれだけに、私は死を賭けて志を貫く人間に憧れると共に、脅されてつい逃げてしまう人々に限りない哀惜の念を持つ。私を含めたそんな人々を、断崖に追いつめるような国だけは許せないと思うのである。

 

コメント (7)
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