法然上人⑤(40才、魂の解決を求めて報恩蔵へ)
法然上人が四十歳を迎えたころ、
比叡山には肩を並べる者がない学識を
備えるに至った。
比叡山天台宗の座主になられたのである。
名実もとに日本一の僧侶となられた。
「ついて、父上の遺言を果たした」
と満足したのも束の間、
厳しく、内心に目を向けたとき、
いまださとりがえられず、今にも死が来たならば、
必ず無間地獄に堕つる暗い心しかなかったのである。
釈尊が仏法を説かれた目的は、
後生の一大事の解決である。
いくら名声や地位が得られても、
後生の一大事を解決していなければ、
迷いの衆生であり、
真の日本一の僧侶とは言えない。
そこに気づいた法然上人は、
一切の地位を投げ捨てても、
魂の一大事の解決を求めずにはおれなかった。
墨染めの衣で向かわれたのは、黒谷である。
黒谷の報恩蔵には当時、釈尊の一切経が
所蔵されていた。
源空は、天台宗を含めて、
それまで学んだいずれの宗派の教義を
もってしても救われ難い自己の姿を
すでに知らされていた。
「善をなそうとしても善のカケラもなし得ず、
悪をやめようとしても悪を造らずしては
寸刻も生きてゆけない、
そのような自分が廃悪修善を基調とする
聖道門の教えで助かるはずがない。
しかし、釈尊はこのような者を救う道を
必ず説いておられる筈である。
そんな教えが一切経のどこかにあるに違いない。」
法然上人はそう考えていた。
その教えを知るためにこそ黒谷の報恩蔵へ来たのである。
法然上人が四十歳を迎えたころ、
比叡山には肩を並べる者がない学識を
備えるに至った。
比叡山天台宗の座主になられたのである。
名実もとに日本一の僧侶となられた。
「ついて、父上の遺言を果たした」
と満足したのも束の間、
厳しく、内心に目を向けたとき、
いまださとりがえられず、今にも死が来たならば、
必ず無間地獄に堕つる暗い心しかなかったのである。
釈尊が仏法を説かれた目的は、
後生の一大事の解決である。
いくら名声や地位が得られても、
後生の一大事を解決していなければ、
迷いの衆生であり、
真の日本一の僧侶とは言えない。
そこに気づいた法然上人は、
一切の地位を投げ捨てても、
魂の一大事の解決を求めずにはおれなかった。
墨染めの衣で向かわれたのは、黒谷である。
黒谷の報恩蔵には当時、釈尊の一切経が
所蔵されていた。
源空は、天台宗を含めて、
それまで学んだいずれの宗派の教義を
もってしても救われ難い自己の姿を
すでに知らされていた。
「善をなそうとしても善のカケラもなし得ず、
悪をやめようとしても悪を造らずしては
寸刻も生きてゆけない、
そのような自分が廃悪修善を基調とする
聖道門の教えで助かるはずがない。
しかし、釈尊はこのような者を救う道を
必ず説いておられる筈である。
そんな教えが一切経のどこかにあるに違いない。」
法然上人はそう考えていた。
その教えを知るためにこそ黒谷の報恩蔵へ来たのである。