源信僧都⑪-3(人身受け難し 今已に受く)
私達は日常、有難いというが、
あることがまれだということから
出た言葉なのだ。
これは科学的に考えても肯ける。
人間死ねば焼かれて空気になり灰になる。
この場合、心というものを一応除外して考えても、
人間を造っていた空気は宇宙全体に飛散する。
空気には境界はないからだ。
また、灰になったものは、
そこらあたりの地上に積って土となるだろう。
土には植物が生えることもあろうし、
長い間には堅い岩石にもなるだろう。
それが雨や風によって運ばれて川や湖や海に
洗い流されて沈積する。
そして人間を造っていた空気や灰が
再び集合して一個の人間に生れるまでの困難さ、
有難さを考えても判るだろう。
『涅槃経』には
「地獄に堕ちるものは十方世界の土の如く、
人間に生れるものは爪の上の土の如し」
とも説かれている。
私達は日常、有難いというが、
あることがまれだということから
出た言葉なのだ。
これは科学的に考えても肯ける。
人間死ねば焼かれて空気になり灰になる。
この場合、心というものを一応除外して考えても、
人間を造っていた空気は宇宙全体に飛散する。
空気には境界はないからだ。
また、灰になったものは、
そこらあたりの地上に積って土となるだろう。
土には植物が生えることもあろうし、
長い間には堅い岩石にもなるだろう。
それが雨や風によって運ばれて川や湖や海に
洗い流されて沈積する。
そして人間を造っていた空気や灰が
再び集合して一個の人間に生れるまでの困難さ、
有難さを考えても判るだろう。
『涅槃経』には
「地獄に堕ちるものは十方世界の土の如く、
人間に生れるものは爪の上の土の如し」
とも説かれている。