源信僧都⑩-11(往生要集-この世の自業苦)
ジゴクと言うのは中国の言葉で、
釈尊は印度の方だから、印度の言葉でナラカと言われた。
ナラカということは、私達に判る言葉になおすと
「苦しみの世界」ということである。
ジゴクは、この世にも死後にもあると教えるのが仏教だ。
この世のジゴクといいますのは、
「自業苦」と書き、
毎日が不安で暗い心で、
生き甲斐のない生活をしている人をいい、
これをたゞ今がジゴクへ堕ちている人という。
「私ほど業なものはいない」と
他人をウラミ、世間をノロイ、
苦しみ悩みの不幸の絶えない生活が、
この世の自業苦(ジゴク)なのだ。
殆どの人が仏教でいうこのジゴクへすでに堕ちている。
ところが『大無量寿経』には
「苦より苦に入り、冥より冥に入る」
と説かれて、
今苦しみ悩みのたえない者は必ず死後も
ジゴクの苦を受けるのだと教えてられる。
現在が闇の生活を送っている人は、
死後もまた闇の地獄と堕ちて
苦しまねばならない。
ジゴクと言うのは中国の言葉で、
釈尊は印度の方だから、印度の言葉でナラカと言われた。
ナラカということは、私達に判る言葉になおすと
「苦しみの世界」ということである。
ジゴクは、この世にも死後にもあると教えるのが仏教だ。
この世のジゴクといいますのは、
「自業苦」と書き、
毎日が不安で暗い心で、
生き甲斐のない生活をしている人をいい、
これをたゞ今がジゴクへ堕ちている人という。
「私ほど業なものはいない」と
他人をウラミ、世間をノロイ、
苦しみ悩みの不幸の絶えない生活が、
この世の自業苦(ジゴク)なのだ。
殆どの人が仏教でいうこのジゴクへすでに堕ちている。
ところが『大無量寿経』には
「苦より苦に入り、冥より冥に入る」
と説かれて、
今苦しみ悩みのたえない者は必ず死後も
ジゴクの苦を受けるのだと教えてられる。
現在が闇の生活を送っている人は、
死後もまた闇の地獄と堕ちて
苦しまねばならない。