源信僧都⑩-10(往生要集-頭下足上)
江戸末期、四国は讃岐に庄松同行という
妙行人(阿弥陀仏の本願に救われ活躍された人)がいた。
彼は字の縦横の分からぬ、銭の勘定もできぬ
世間では馬鹿、昔は八文と呼ばれていた。
ところがこと仏教になると、これが馬鹿だろうかと
思うようなことをしている。
寺でご法話があり、帰ろうとしていた時、
庄松が本堂で逆立ちを始めた。
「オイ庄松、年甲斐もなく、逆立ちなんかしておると
倒れて、怪我するぞ」
と友達が忠告すると、すかさず庄松
「まだ分からんかのう。お前達が地獄へ堕ちる様を
教えているのじゃ。
お経には、この世で弥陀の本願に救われずに
地獄へ堕ちてゆく者は頭下足上で堕ちてゆくと
説かれているではないか」
といい加減に仏教を聴いている者たちに
警鐘乱打している。
頭下足上とは、頭を下にし、足を上にするということで
逆立ちしているということである。
明日とも知れない命を持ちながら、
まだまだ生きれると思っている。
悪人でありながら、
どこがオレが悪人なんだ、あいつの方が余程
悪いじゃないかと、うぬぼれ一杯。
こんな真実と反対のことしか思えないから
頭下足上で地獄行きなのだ。
庄松の言葉が耳に痛い。
江戸末期、四国は讃岐に庄松同行という
妙行人(阿弥陀仏の本願に救われ活躍された人)がいた。
彼は字の縦横の分からぬ、銭の勘定もできぬ
世間では馬鹿、昔は八文と呼ばれていた。
ところがこと仏教になると、これが馬鹿だろうかと
思うようなことをしている。
寺でご法話があり、帰ろうとしていた時、
庄松が本堂で逆立ちを始めた。
「オイ庄松、年甲斐もなく、逆立ちなんかしておると
倒れて、怪我するぞ」
と友達が忠告すると、すかさず庄松
「まだ分からんかのう。お前達が地獄へ堕ちる様を
教えているのじゃ。
お経には、この世で弥陀の本願に救われずに
地獄へ堕ちてゆく者は頭下足上で堕ちてゆくと
説かれているではないか」
といい加減に仏教を聴いている者たちに
警鐘乱打している。
頭下足上とは、頭を下にし、足を上にするということで
逆立ちしているということである。
明日とも知れない命を持ちながら、
まだまだ生きれると思っている。
悪人でありながら、
どこがオレが悪人なんだ、あいつの方が余程
悪いじゃないかと、うぬぼれ一杯。
こんな真実と反対のことしか思えないから
頭下足上で地獄行きなのだ。
庄松の言葉が耳に痛い。