歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

源信僧都⑩-2(往生要集-等活地獄)

2009年09月07日 | 七高僧
源信僧都⑩-2(往生要集-等活地獄)

①等活地獄(とうかつじごく)
・殺生

最初の等活地獄は、
この私達の住む世界の地下一千由旬の
ところにあって、縦横の広さが一万由旬である。

この地獄に堕ちる業因は、
生き物の命を断つものがこの地獄に堕ち、
ケラ・アリ・蚊(カ)・蝱(アブ)の
小虫を殺した者も、懺悔しなければ
必ずこの地獄に堕ちると説かれている。
また、生前争いが好きだったものや、
反乱で死んだものもここに落ちるといわれている。

ここの罪人は、
互いにいつも敵愾心を懐いて、
もしたまたま出会うと、
猟師が鹿を見つけたときのように、
それぞれ、鉄のような爪で
たがいにひっかき、傷つけあい、
ついには血も肉もすっかりなくなって、
ただ骨だけになる。

あるいは、地獄の鬼(獄卒)が
鉄の杖や棒を手にして、
罪人を頭から足の先までくまなく打ち突き、
からだを土塊のように砕いてしまう。

あるいは、とくに鋭利な刀で、
料理人が魚や肉をさくように、
ばらばらに肉を切りさく。

ところが、涼しい風が吹いてくると、
また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で
元の身体に等しく生き返るという
責め苦が繰り返されるゆえに、
等活という。
この地獄の四つの門のそとには、
また、これに付属した、
十六の特別なところがある。

第一は屎泥処(しでいしょ)といって、
極熱の屎(くそ)がどぶどろになっている。

第二は刀輪処(とうりんしょ)といって、
両刃の刀が雨のようにふってくる。

第三はおう熱処(おうねつしょ)といって、   
罪人を掴まえて鉄のかめの中にいれ、
豆のようにじっくり煎る。

第四は多苦処(たくしょ)といって、
量り知れない種類の苦しみがあるところで、
詳しく説明することができない。

第五は闇冥処(あんみょうしょ)といって、
まっ暗な処にいて、
いつも闇火(やみび)にやかれる。

第六は不喜処(ふきしょ)といって、
嘴から熱い炎をはく鳥や、
犬・狐のなく声が不気味で恐ろしく、
いつも襲ってきて、罪人にくいつき、
骨や肉をくいちらす。

第七は極苦処(ごくくしょ)といって、
ここは罪人が険しい崖の下にいて、
いつも鉄の火で焼かれるところである。

源信僧都⑩(往生要集)

2009年09月07日 | 七高僧
源信僧都⑩(往生要集)

源信僧都は、主著『往生要集』を
わずか六カ月で書き上げた。
『往生要集』は僧都44才の時の著作であった。

わが国有数の宗教文学作品で、引用文献の多さでは、
七祖の書物の中で第一の書物である。

源信僧都は、主著『往生要集』をわずか六カ月で書き上げた。
『往生要集』は僧都44才の時の著作であった。

わが国有数の宗教文学作品で、引用文献の多さでは、
七祖の書物の中で第一の書物である。

『往生要集』は源信僧都の
「予がごとき頑魯(がんろ)の者」という
真実の自己を知らされたお言葉から始まり
道俗・貴賎・賢愚の区別なく、
等しく救われる道は念仏の一門のみだという
基本的な立場に立って書かれている。

その中でも往生要集に描かれた地獄の有様は有名だ。
今日、地獄を語る場合、往生要集に基づいて
話しされているのが殆どである。

源信僧都はこれを通して、後生の一大事の解決こそが
人生の目的であるかを明らかにして下されたのである。

そして、源信僧都はその地獄を絵図にして、
視覚にも訴えた。

宮中にも飾られたが、その部屋は夜になると
地獄の亡者、獄卒達のうめき声が聞こえてきて、
誰も近づかなかったとさえ噂された。

また、妙好人庄松同行にもこんな話しが残されている。
ある寺に往生要集の地獄絵図と極楽絵図が掛けられた。
多くの同行が集まって見ていたのは地獄絵図の前。
その絵の凄まじい地獄の様子に、皆は口々に
「地獄とは大変なところだの」
と驚いていた。
そこへ庄松が来て
「お前ら、死んだら嫌でもこんな様子は見れるのじゃから、
 今の内にこちらの極楽を見させてもらったらいいぞ」
と言ったそうな。

流石は庄松、皮肉な言い方だが、的を得ている。