源信僧都⑪-4(仏法聞き難し 今已に聞く)
受け難い人身を受けたということは、
人間界に出なければ果せない重大な問題がある
ということなのだ。
人間には大切な聖使命があって、
それを達成する為に生れ来たということ。
その唯一の聖使命とは、
真実の仏法、阿弥陀仏の本願を聞信し、
魂の解決をするということ以外はない。
これを仏教では信心決定という。
しかもこのようなことは何億年に一度しか
めぐって来ない絶好のチャンス。
かくて、仏法を聞き絶対の幸福を獲得した時こそ、
人間に生れた本当の有難さ、尊さが判る。
仏法を聞き開かぬ限り人間に生れた喜びなど
絶対に判るものではない。
以上のことを釈尊は
「人身受け難し、今すでに受く。
仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身、今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん」
と仰言っていられるのだ。
受け難い人身を受けたということは、
人間界に出なければ果せない重大な問題がある
ということなのだ。
人間には大切な聖使命があって、
それを達成する為に生れ来たということ。
その唯一の聖使命とは、
真実の仏法、阿弥陀仏の本願を聞信し、
魂の解決をするということ以外はない。
これを仏教では信心決定という。
しかもこのようなことは何億年に一度しか
めぐって来ない絶好のチャンス。
かくて、仏法を聞き絶対の幸福を獲得した時こそ、
人間に生れた本当の有難さ、尊さが判る。
仏法を聞き開かぬ限り人間に生れた喜びなど
絶対に判るものではない。
以上のことを釈尊は
「人身受け難し、今すでに受く。
仏法聞き難し、今すでに聞く。
この身、今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん」
と仰言っていられるのだ。