法然上人③(勢至丸の出家)
勢至丸が最初に師と仰いだのは、
近隣の菩提寺の住職であった。
住職は幼い勢至丸の並外れた聡明さに舌をまいた。
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る。
さらに、聞いたことは二度と忘れなかった。
やがて住職は、これほどに智恵勝れた勢至丸を
このような片田舎で埋もれさせるのは
いかにも惜しいと、比叡山行きを勧めた。
当時は、天台宗比叡山と真言宗高野山が、
二大聖地として仏教界に君臨していた。
天下の俊秀がこれらの山に結集していたのである。
勧めに従って
勢至丸は、比叡入山を決意した。
その時、菩提寺の住職は、
叡山の僧侶あてに送り状をしたため、
文中、「ここに文殊の像一体を進呈する」と
書いている。
比叡山の僧は、送り状を見て、どこに文殊の像があるか、
と一時思ったが、やがて文殊の像とは勢至丸自身の
ことであることと悟った。
これだけでも住職が、如何に勢至丸の
天才を認めていたかが分かる。
勢至丸は初め源光上人に師事。
15歳の時に同じく比叡山の皇円の下で得度。
比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と改め、
以来ひらすら日本一の僧を目指して
切磋琢磨の年月を重ねた。
やがて水を得た魚のごとく、
学問はいよいよ深まり、
単に天台宗のみならず、八家九宗といわれた
諸宗の教義にもことごとく精通した。
しかし、師の叡空すら法然上人が真の知識と
仰ぐには至らなかった。
勢至丸が最初に師と仰いだのは、
近隣の菩提寺の住職であった。
住職は幼い勢至丸の並外れた聡明さに舌をまいた。
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る。
さらに、聞いたことは二度と忘れなかった。
やがて住職は、これほどに智恵勝れた勢至丸を
このような片田舎で埋もれさせるのは
いかにも惜しいと、比叡山行きを勧めた。
当時は、天台宗比叡山と真言宗高野山が、
二大聖地として仏教界に君臨していた。
天下の俊秀がこれらの山に結集していたのである。
勧めに従って
勢至丸は、比叡入山を決意した。
その時、菩提寺の住職は、
叡山の僧侶あてに送り状をしたため、
文中、「ここに文殊の像一体を進呈する」と
書いている。
比叡山の僧は、送り状を見て、どこに文殊の像があるか、
と一時思ったが、やがて文殊の像とは勢至丸自身の
ことであることと悟った。
これだけでも住職が、如何に勢至丸の
天才を認めていたかが分かる。
勢至丸は初め源光上人に師事。
15歳の時に同じく比叡山の皇円の下で得度。
比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と改め、
以来ひらすら日本一の僧を目指して
切磋琢磨の年月を重ねた。
やがて水を得た魚のごとく、
学問はいよいよ深まり、
単に天台宗のみならず、八家九宗といわれた
諸宗の教義にもことごとく精通した。
しかし、師の叡空すら法然上人が真の知識と
仰ぐには至らなかった。