歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

法然上人③(勢至丸の出家)

2009年09月26日 | 七高僧
法然上人③(勢至丸の出家)

勢至丸が最初に師と仰いだのは、
近隣の菩提寺の住職であった。

住職は幼い勢至丸の並外れた聡明さに舌をまいた。
一を聞いて十を知り、十を聞いて百を知る。
さらに、聞いたことは二度と忘れなかった。

やがて住職は、これほどに智恵勝れた勢至丸を
このような片田舎で埋もれさせるのは
いかにも惜しいと、比叡山行きを勧めた。

当時は、天台宗比叡山と真言宗高野山が、
二大聖地として仏教界に君臨していた。
天下の俊秀がこれらの山に結集していたのである。

勧めに従って
勢至丸は、比叡入山を決意した。

その時、菩提寺の住職は、
叡山の僧侶あてに送り状をしたため、
文中、「ここに文殊の像一体を進呈する」と
書いている。
比叡山の僧は、送り状を見て、どこに文殊の像があるか、
と一時思ったが、やがて文殊の像とは勢至丸自身の
ことであることと悟った。

これだけでも住職が、如何に勢至丸の
天才を認めていたかが分かる。

勢至丸は初め源光上人に師事。
15歳の時に同じく比叡山の皇円の下で得度。
比叡山黒谷の叡空に師事して「法然房源空」と改め、
以来ひらすら日本一の僧を目指して
切磋琢磨の年月を重ねた。

やがて水を得た魚のごとく、
学問はいよいよ深まり、
単に天台宗のみならず、八家九宗といわれた
諸宗の教義にもことごとく精通した。
しかし、師の叡空すら法然上人が真の知識と
仰ぐには至らなかった。