源信僧都④(叡山にて頭角を現す)
天台宗の僧侶となって源信と名を改めた。
源信は比叡山で、一心不乱に天台教学の
研鑚に励んだ。
元来、才智卓抜な源信が、水を得た魚のごとく、
良き師、良き環境に包まれて修学を
続けたのであるから、
その学問に上達ぶりは目覚ましかった。
たちまち、全国から俊秀を結集した
叡山において頭角を現し、
十五歳のころには、叡山三千坊に
傑出した僧侶として、
源信の名を知らぬ者はなかった。
そのころ、時の村上天皇から
叡山に勅使が出され、
「学識優れた僧侶を内裏に招いて、
『称讃浄土経』の講釈を聞きたい」
という天皇の意思を伝えてきた。
当時の仏教は国家権力の手厚い保護の
もとに発展を約束されていたため、
天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の
動向に連なっていた。
そのため、村上天皇に派遣すべき僧侶の
人選は慎重を極めたが、一山の首脳の衆議の結果、
選ばれたのが源信であった。
あまりの光栄の感激しつつ、源信は全山の期待を
担って村上天皇の元に赴いた。
そして、群臣百官の居並ぶ前で、天皇に堂々と
『称讃浄土経』を講説したのである。
天台宗の僧侶となって源信と名を改めた。
源信は比叡山で、一心不乱に天台教学の
研鑚に励んだ。
元来、才智卓抜な源信が、水を得た魚のごとく、
良き師、良き環境に包まれて修学を
続けたのであるから、
その学問に上達ぶりは目覚ましかった。
たちまち、全国から俊秀を結集した
叡山において頭角を現し、
十五歳のころには、叡山三千坊に
傑出した僧侶として、
源信の名を知らぬ者はなかった。
そのころ、時の村上天皇から
叡山に勅使が出され、
「学識優れた僧侶を内裏に招いて、
『称讃浄土経』の講釈を聞きたい」
という天皇の意思を伝えてきた。
当時の仏教は国家権力の手厚い保護の
もとに発展を約束されていたため、
天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の
動向に連なっていた。
そのため、村上天皇に派遣すべき僧侶の
人選は慎重を極めたが、一山の首脳の衆議の結果、
選ばれたのが源信であった。
あまりの光栄の感激しつつ、源信は全山の期待を
担って村上天皇の元に赴いた。
そして、群臣百官の居並ぶ前で、天皇に堂々と
『称讃浄土経』を講説したのである。