歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

源信僧都④(叡山にて頭角を現す)

2009年09月02日 | 七高僧
源信僧都④(叡山にて頭角を現す)

天台宗の僧侶となって源信と名を改めた。
源信は比叡山で、一心不乱に天台教学の
研鑚に励んだ。
元来、才智卓抜な源信が、水を得た魚のごとく、
良き師、良き環境に包まれて修学を
続けたのであるから、
その学問に上達ぶりは目覚ましかった。
たちまち、全国から俊秀を結集した
叡山において頭角を現し、
十五歳のころには、叡山三千坊に
傑出した僧侶として、
源信の名を知らぬ者はなかった。

そのころ、時の村上天皇から
叡山に勅使が出され、
「学識優れた僧侶を内裏に招いて、
『称讃浄土経』の講釈を聞きたい」
という天皇の意思を伝えてきた。

当時の仏教は国家権力の手厚い保護の
もとに発展を約束されていたため、
天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の
動向に連なっていた。

そのため、村上天皇に派遣すべき僧侶の
人選は慎重を極めたが、一山の首脳の衆議の結果、
選ばれたのが源信であった。
あまりの光栄の感激しつつ、源信は全山の期待を
担って村上天皇の元に赴いた。

そして、群臣百官の居並ぶ前で、天皇に堂々と
『称讃浄土経』を講説したのである。