歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

源信僧都⑥(母の手紙)

2009年09月04日 | 七高僧
源信僧都⑥(母の手紙)

母からの歌は道を踏みはずした源信を
悲しんでいるのであった。
母君は歌に続いて、
次のように手紙を記している。

「山へ登らせ給いてより後は、
 明けても暮れても床しさ心を砕きつれども、
 貴き動人となし奉る嬉しさとおもいしに、
 内裏(天皇)の交わりをなし、
 官位進み、紫甲青甲に衣の色をかえ、
 君に向かい奉り、御経讃し、
 お布施の物をとり給い候ほどの、
 名聞利養の聖となりそこね給う口惜しさよ。
 唯命を限りに樹下石上の住居草衣木食に
 身をやつしては、 木を惟り(こり)
 落葉を拾い、偏に後世たすからんとし給えとて
 拵(こしら)えたてしに、
 再び栄えて王宮の交わりをなし、
 官位階品さまざまの袈裟に出世をかざり、
 名聞の為に説法し、利養の為の御布施、
 更に出離の御動作にあらず、
 唯輪廻の御身となり給うぞや。
 唯遇いがたき優曇華(うどんげ)の
 仏教にあいぬれば、
 思い入りて後世たすかり給うべきに、
 悲しくも一旦の名利にほだされ給うこと、
 愚なる中の愚なること、殊に惜しき次第、
 あさましく候え、
 之を面目と思い給うは賎しき迷なるべし、
 夢の世に同じ迷にほだされたる人々に
 名を知られて何にかはせん。
 永き後に悟りを極めて仏の御前に
 名をあけ給えかし」

源信僧都は、母の鉄骨の慈悲の教訓に、翻然として
自らの非を悟り、たちどころに、天皇よりの褒美の品々を
惜しげもなく焼却してしまった。
さらに、僧都という位も返上して、決意新たに
後生の一大事の解決に取り組んだのである。