別所温泉で開いているギャラリー輝、現在リニューアル準備中です。
今年の8月に建物取り壊しました。ここに新築します。
先般Go toで別所温泉を訪ねた知人から、「どうしたの!建物無くなっていたよ!」と連絡ありました。
さらに、「建築中とは聞いております。新規オープン楽しみにしています」と尋ねてこられた方もありました。
4月末完成。ゴールデンウィーク新規オープン目指しています。
雑貨屋を営んでいた店舗併用住宅の店舗部分をリフォームしギャラリー輝として、池田輝の絵を展示し始めたのは16年ほど前。
もうこれ以上絵を描けないと観念したかの病床の父から突然言われたのは、(自分が亡くなったら)「俺の絵は焚きつけにするだか?」でした。
その無念と諦観の父の思いが、ギャラリー輝を開き、池田輝の画集を作り、回顧展を開く原動力となりました。
父の言葉に押されるように簡易改装工事で開いたギャラリーは、足りない点が多々ありました。
自分が油絵未経験だったこともあり、絵の展示ギャラリーとして不十分でした。
日が当たる、明るすぎる。
外の車の騒音問題。
木製ドア、窓のきしみ。
そして絵の倉庫から出し入れが不便ゆえ、頻繁に絵を展示替えできない。
何より、出来上がってからわかった最大の問題点は、代表作で自分が最も好きな「馬上の人」F200号(縦サイズ)が、天井が低くて展示できないこと。
そして作ったものの自分の生活が忙しく母に任せっきりにしたこともあり、開店休業状態となり、リフォームから16年が過ぎました。
今度こそ生活の拠点を別所温泉に半分移し、本気でギャラリー輝を運営する。
そんな夢を描きました。
「どうしてすぐに行動できるのですか?」と褒めていただく(多分)ことがあるが、実は我が弱点はここです。
思い立ったら即行動してしまう。
熟考よりまず行動。せっかちですぐに結果を求めるタイプ。
だから、サクッとギャラリー新規オープンしたいところでしたが、今回は実に慎重にことを進めました。
推敲に推敲を重ね。あーでもない、こーでもないと悩み。
結局どうすべきなのか、ぼんやりする何かが掴めないのはどうしてなのか、色々考え、珍しく考えに考え行きついた結論は。
それは、
池田輝の全体像を把握していない!でした。
開かずの間のような倉庫に詰め込まれている作品の全貌を知らない。
公募展に出展するような大作すら半数程度しか知らない。ましてや段ボールにぎっしり入っている小作品は全く知らない。
これらを一つずつ広げ、写真に収める作業から始めようと重い腰を上げたのは2018年8月。
それからコツコツ記録を撮り、ようやくキャンパスや板に描かれた作品全てを把握できたのは2020年7月。
実に2年かかりました。
こうして倉庫に残っていたのは大作70点、小作品700点あまり。
わかった全貌をどのように繋ぎ、どう展示するかはこれからの作業です。
一つ一つの作品に対峙するたびに、「ホー」とか「ウワー」と感嘆の連続でした。
自分も油絵をかじるようになりテクニックや構図の妙がわかるようになったことから、見えるものもそれなりに深くなりましたが、そんな理屈ではない、作家の情熱がグッと迫ってくるのでした。
めくる作品の数が増える度に、単なる夢ではなく、これらの作品を外に出そうという信念に変わっていきました。
父の知人が亡くなった後、その作品は遺族によって全て燃やされたということを知りました。
父があの時「俺の絵は焚きつけにするだか?」と言った唐突な一言は、父にとってはリアルな現実だったのです。
自分の作品が同じ運命を辿ることを忌みながらも、受け入れざるを得ないと観念していたのだと確信できます。
縁あって地元の工務店に新築を依頼しました。
今建築は工務店に託し、私は作品のストーリー構築に励んでおります。
2019年秋の台風で橋が落ちた別所線、2021年春には全線開通のようです。
その頃には「馬上の人」を展示する新ギャラリー輝がオープンし、コロナが吹き飛んでいますように。
今年の8月に建物取り壊しました。ここに新築します。
先般Go toで別所温泉を訪ねた知人から、「どうしたの!建物無くなっていたよ!」と連絡ありました。
さらに、「建築中とは聞いております。新規オープン楽しみにしています」と尋ねてこられた方もありました。
4月末完成。ゴールデンウィーク新規オープン目指しています。
雑貨屋を営んでいた店舗併用住宅の店舗部分をリフォームしギャラリー輝として、池田輝の絵を展示し始めたのは16年ほど前。
もうこれ以上絵を描けないと観念したかの病床の父から突然言われたのは、(自分が亡くなったら)「俺の絵は焚きつけにするだか?」でした。
その無念と諦観の父の思いが、ギャラリー輝を開き、池田輝の画集を作り、回顧展を開く原動力となりました。
父の言葉に押されるように簡易改装工事で開いたギャラリーは、足りない点が多々ありました。
自分が油絵未経験だったこともあり、絵の展示ギャラリーとして不十分でした。
日が当たる、明るすぎる。
外の車の騒音問題。
木製ドア、窓のきしみ。
そして絵の倉庫から出し入れが不便ゆえ、頻繁に絵を展示替えできない。
何より、出来上がってからわかった最大の問題点は、代表作で自分が最も好きな「馬上の人」F200号(縦サイズ)が、天井が低くて展示できないこと。
そして作ったものの自分の生活が忙しく母に任せっきりにしたこともあり、開店休業状態となり、リフォームから16年が過ぎました。
今度こそ生活の拠点を別所温泉に半分移し、本気でギャラリー輝を運営する。
そんな夢を描きました。
「どうしてすぐに行動できるのですか?」と褒めていただく(多分)ことがあるが、実は我が弱点はここです。
思い立ったら即行動してしまう。
熟考よりまず行動。せっかちですぐに結果を求めるタイプ。
だから、サクッとギャラリー新規オープンしたいところでしたが、今回は実に慎重にことを進めました。
推敲に推敲を重ね。あーでもない、こーでもないと悩み。
結局どうすべきなのか、ぼんやりする何かが掴めないのはどうしてなのか、色々考え、珍しく考えに考え行きついた結論は。
それは、
池田輝の全体像を把握していない!でした。
開かずの間のような倉庫に詰め込まれている作品の全貌を知らない。
公募展に出展するような大作すら半数程度しか知らない。ましてや段ボールにぎっしり入っている小作品は全く知らない。
これらを一つずつ広げ、写真に収める作業から始めようと重い腰を上げたのは2018年8月。
それからコツコツ記録を撮り、ようやくキャンパスや板に描かれた作品全てを把握できたのは2020年7月。
実に2年かかりました。
こうして倉庫に残っていたのは大作70点、小作品700点あまり。
わかった全貌をどのように繋ぎ、どう展示するかはこれからの作業です。
一つ一つの作品に対峙するたびに、「ホー」とか「ウワー」と感嘆の連続でした。
自分も油絵をかじるようになりテクニックや構図の妙がわかるようになったことから、見えるものもそれなりに深くなりましたが、そんな理屈ではない、作家の情熱がグッと迫ってくるのでした。
めくる作品の数が増える度に、単なる夢ではなく、これらの作品を外に出そうという信念に変わっていきました。
父の知人が亡くなった後、その作品は遺族によって全て燃やされたということを知りました。
父があの時「俺の絵は焚きつけにするだか?」と言った唐突な一言は、父にとってはリアルな現実だったのです。
自分の作品が同じ運命を辿ることを忌みながらも、受け入れざるを得ないと観念していたのだと確信できます。
縁あって地元の工務店に新築を依頼しました。
今建築は工務店に託し、私は作品のストーリー構築に励んでおります。
2019年秋の台風で橋が落ちた別所線、2021年春には全線開通のようです。
その頃には「馬上の人」を展示する新ギャラリー輝がオープンし、コロナが吹き飛んでいますように。