脳のミステリー

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何故ドバイにフォーカス?

2010-03-18 08:31:44 | Weblog
ドバイ・ショック ("Dubai crisis" あるいは "Dubai debt crisis") とは、2009年11月25日に、アラブ首長国連邦のドバイ政府が、政府系持株会社ドバイ・ワールドの債務返済繰り延べを要請すると発表したことに端を発し、世界的に株式相場が急落し、アブダビの銀行からの資金調達を発表したが、その2時間後に突然この繰り延べ要請が発表されたことから、投資家に衝撃を与えたという事である。

この時期にドバイにフォーカスしてみようと思ったのはひょんな事で映画「沈まぬ太陽」に携わった旧友に連絡が付いたからだ。多忙な人ほどメール返信は速い!
さすが級友繋がりの航空繋がりである。
偶々 彼と私は同じ頃 別々の国営航空会社に勤務していたのである。
同期なんだから同じ頃に決まっている。
彼は知らなかったようだが、私は彼の会社から我が社に転職してきた男性に、これもひょんな事で名前を気かされて驚いたのである。
旧友と業界の接点が正にビックリだったのだ! 理由は伏せる!
そしてその級友との接点が「ドバイ」だったのである。

1973年7月20日ドバイ日航機ハイジャック事件はもう既に忘却の彼方に…かも知れない。
その日は私が一番早い出勤者だった。通信課の夜間勤務者だった男性が「凄い事件があったよ。うちじゃないけど」と「おはよう」より前に開口一番そういう言葉が口から出た。
部屋に入ってビックリ! 電話は留守電になっているのに音だけは凄い勢いであっちでもこっちでもなっていたのである。湘南から出社してくる私はいつも少し早めに来て先ず珈琲を飲むのが習慣だった。チョッと怖くなって通信課の人に「何があったの?」と先に聞きにいった。
「ハイジャックらしいよ」
「何処の・・・」
「日航!」
「何処で?」
「Dubaiらしいよ」
「Dubai? うちが使ってる空港じゃない!」
電話のスイッチを入れた途端、マスコミから電話攻め・・・新聞社・TV会社・・・
「BAさん、ハイジャックされた日航はお宅しか乗り込んでいないんだよ。DUBAIってどう発音するの?」
「ああ、はい、Dubai です」
「もう一回言って、はっきりと発音できないよ!」
殆どの電話が同じような質問だった。9時まで一人で電話の応対はそれはそれは大変だった。「ダメだなあ、日本語で言ってよ、そんな格好付けないで」と怒鳴る人もいた。「アラビア語で何と言うのよ!」の質問には「アラビア語( دبي‎、Dubayy)?無理です」と私はチョッと半分怒った調子で答えた。内心、うちは関係ないじゃない。人に物を頼む態度じゃないわ! 開き直っていると二番乗りが出社してきてくれた。
「どうしたの、この電話?」
未だ9時には間があったので、電話を一度一斉に切った。航空会社というのは24時間体制で働く会社である。だから通信課の人間が夜勤を交代でやっていたのだが、自社の事ではないので取敢えず他の専門職の社員が来るまで電話は敢えて取らなかったのである。
朝のパニックを話すと私が大好きだった上司は「クミ、DubaiはDubaiだよな」とゆっくりタバコを吸いながら言った。次の瞬間、彼は「ドバイ、ドバイでいこう」と言った。私は「ドバイ?Dubaiがドバイ?敢えてカタカナで書けばデュバイかな?」上司は「無理だよ、日本人にはDubai―Du baiを上手く発音したり、書いたりするのは!」と言った。
電話再開後一番初めに取った電話の相手は国営放送の人間だった。
「ああ、やっと出た。ねえ、BAさんD・U・B・A・I空港ってなんて読むの?」
「ドバイ空港ですね」抵抗を感じながら私は答えた。
相手は「ドバイね、サンキュウ、どうもね!」と電話を切った。
やがて9時出勤の社員が続々と夫々が手に手に「号外」を持ってやって来ました。
上司は「JAL機は今、ドバイ空港!デュバイじゃなくてドバイね!」と統一した。今でこそデュオとかデュエットって簡単に日本人の口から出るが、デュより後に続くバイの独特な発音に抵抗があったのである。
パリ発アムステルダム、アンカレッジ経由東京(羽田)行きの日本航空機(ボーイング747-246B型機JA8109)は「被占領地の息子たち」と自称するPFLPと日本赤軍の混成部隊が、爆弾等の武器を持ち込みハイジャックし、アラブ首長国連邦のドバイ国際空港、シリアのダマスカス国際空港等を経由し、リビアのベンガジ空港に着陸させた。
調度、ドバイ空港に着陸した時、日本にニュースが入ったのである。そしてそのニュースを流そうと思ったマスコミ各社が競って空港名を聞く為に私一人が働くBAに電話が殺到したという訳だった。 リビアで、乗員乗客141人の人質を解放した後、同機を爆破し投降して、犯人グループは、ムアンマル・アル=カッザーフィー大佐率いるリビア政府の黙認の元に逃亡した。

あのハイジャック事件の時もそれ以外の事故もJALの友人達の事は真っ先に「乗ってたかな?」と心配していた。無論 ドバイ事件の時も「H君は乗務だったかしら?」と無事を祈っていた記憶がはっきりある。
前年のJALの事故の時も心配したのもである。1972年11月28日、日本航空446便 DC-8-62(機体記号 JA8040 )が、デンマークのコペンハーゲン国際空港発、モスクワ経由、東京国際空港(羽田空港)行きで運航中、現地時間の午後7時51分(日本時間11月29日午前1時51分)にシェレメーチエヴォ国際空港を離陸した直後、100m 程度上昇した時点で失速し、滑走路端から 150m 地点の雪原に墜落した。操縦乗務員6名(内3名は交代要員)、客室乗務員7名、日本航空職員1名、乗客62名(内日本人は52名)の搭乗者計76名中、62名が即死したが、生存者の殆どは機体前方のファーストクラスに着席していた客室乗務員5名、乗客9名(日本人8名)の計14名で、何れも重傷を負った。

今でこそ日本人の多くには「毎年アラブ首長国連邦のドバイで行われている国際クラブサッカー大会のドバイ・カップ」や「世界一の高さを誇るブルジュ・ドバイ(現ブルジュ・ハリファ)」最近は「ドバイ・ショック」でその地名はよく知られている。

では、ドバイって?
イギリスはインドへの航路を守る為に1819年に海賊退治に乗り出し、1820年に、この地域の海上勢力(ペルシア湾に面する首長国)と休戦協定を結び、休戦海岸 (Trucial Coast) と呼ばれるようになった。1835年までイギリスは航海防衛を続け、1835年、イギリスと首長国は「永続的な航海上の休戦」に関する条約を結んだ。その結果、イギリスによる入植が進む事になった。その後、1892年までに全ての首長国がイギリスの保護下に置かれた。
1968年のイギリスのスエズ以東撤退宣言以来、連邦結成の機運が高まり、1971年イギリスの撤退に伴い、アブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラの各首長国が集合して連邦を建国し、翌1972年、ラアス・アル=ハイマが加入して現在の7首長国による連邦の体制を確立した。

その流れのうえで1981年(1985年)に開設に至った『ジュベル・アリ・フリーゾーン(JAFZ)』という名の経済特区と大型港湾、およびナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の就航開始は、国外資本や外国企業の進出とあわせて『人』と『物』の集積地としての発展を急速に促していった
21世紀に入る頃には、従来からの近代化の波を経て、中東における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメトロポリスに変貌していた。
2007年初頭において、住民の実に90%が外国人、内約60%を、インド人を主とする南アジアからの低賃金で働く出稼ぎ労働者が占めている。

御存じ ブルジュ・ハリファは、建設の段階では、ブルジュ・ドバイの名で知られていた。
ブルジュはアラビア語で「塔」「タワー」を意味し、アラブ首長国連邦最大の都市ドバイにあり、世界一高い超高層ビルである2009年11月に発生したドバイ・ショックの影響による資金難から完成が危ぶまれる中でアブダビの首長、ハリーファ・ビン=ザーイド・アール=ナヒヤーンの尽力が大きかったので「ブルジュ・ハリファ」に変更された。
1 - 8階はアルマーニホテル、9 - 16階はアルマーニの高級マンション、38 - 39階はアルマーニホテルのスイートルーム。その他は108階までは高級マンション、111 - 154階は主にオフィスが占める。124階に展望台がある。内装はイタリアのファッションデザイナー。ジョルジオ・アルマーニが担当したからである。

ドバイ・ショックがアブダビの支援で立ち直りそうな時に、今年の2月にまた別のニュースが入ってきた。
「ブルジュ・ハリファ」(828メートル)の124階にある展望台が、2月6日に起きたエレベーター故障以降1ヶ月以上にわたって閉鎖されたままとなっているそうだ。ビル管理者は閉鎖理由について「整備のため」と説明しているが展望台の営業再開の日取りは未定という。電源供給に関する技術的問題でエレベーターに異常が起きているとみられ、在ドバイの経済関係者は「竣工直後のビルに異常があるのは珍しくないが、問題が長引いているようだ」と話している、と伝えてきている。
2月8日には同ビル開発を手がけた不動産大手エマール・プロパティーズ(EmaarProperties)が明らかにしたところによると予想を超える混雑と送電システムの問題のためで、現在、修理点検を行っているという。展望台の再開時期は未定
砂漠の中に燦然と聳え立つ「ブルジュ・ハリファ」は、現在のところ世界一の高さ828メートルを誇り、前月に華々しく落成式を行ったばかり。風の影響を抑えるためにビルは螺旋状にし、風を上方に逃がすデザインとなっているのだが・・・
2月11日の報道では、ドバイ民間防衛局(Dubai Civil Defence)は10日、エレベーター故障で乗客が閉じ込められたのが原因だったことを明らかにした。
同局によると、展望台行きのエレベーターが6日、展望台近くで突然停止し、乗客が30分にわたって閉じ込められた。乗客は救助され、けが人はなかったという。
このエレベーターは124階の展望台まで1分足らずで移動する。828メートルのブルジュ・ハリファのうち、一般に公開されているのはこの展望台だけである。エマールは、すでにチケットを購入した人に対し、即日の返金と、14日以降の予約変更の対応を発表したが、新規購入がいつから可能になるかは明らかにしていない。

まさかドバイの話を書き綴るとは・・・やはり「ハイパーグラフィア」のせいだろうか