「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

おばあちゃんのフィリピン戦争記録

2006-06-20 06:01:11 | Weblog
大阪の86歳のおばあちゃんから礼状が届いた。先日彼女からジャワ地震の
義援金をインドネシア大使館へ届けてくれ、と依頼があった。彼女の
亡くなったご主人が関西の日イ友好団体関係者だったので、挨拶かたがた
大使館へ届けてきた、その礼状である。

礼状に同封して一枚の新聞コピーがあった。戦争中フィリピンの戦争に
まきこまれた彼女自身の体験を紹介している記事である。昭和19年9月、
ジャワへ軍属として赴任途中、彼女が乗っていた瑞穂丸が潜水艦の攻撃を
受けて沈没、6,000人の乗客のうち半数が亡くなった。
幸い彼女は僚船に救助されてマニラへ運ばれたが、まもなく連合軍の再上陸
に遭遇、こんどはアシン峡谷地帯の山中を仲間の女性十人とともに昆虫
やアブラムシを食べ、病魔と闘いながら敗戦までさまよった。

彼女はこの記録を「生きる限りルソンへ」という題の私家本として数年前
出版したが、部数に制限があってすぐ絶版になった。ところが、これを
読んだ僕の知人が感激して自費でこれを再版、まわりまわってその一冊が僕の
手元にある。あの時代を生きた当時20代の大和撫子の心を打つ記録である。



 

日銀総裁のお人柄

2006-06-19 05:33:28 | Weblog
先日の国会答弁で与謝野・金融経済政策担当大臣が福井日銀総裁を
かばって「総裁は人柄がよい」と問題の本質とはかけ離れた発言を
していた。昨日のテレビ番組でも経済通を認ずる元閣僚が同じ人柄
論を言っていた。

共同通信の調査だと49.2%が福井氏は総裁を辞めるべきだという意見
である。それは多分、彼が日銀総裁就任時に村上ファンドを始末しな
かった軽率さを責めているものだと思う。国の金融政策の舵取り役
としては、日銀の内規がどうあろうとも”問題あり"である。

福井氏の人柄がいくら好くとも、彼の軽率さは国民感情が許さない。
軽率さというより、カネ儲けだけが先行する政治への反発である。
舵取り役までカネ儲け主義に走っていたのかーという落胆である。
人柄論であまり福井氏をかばうと、ゲスは「さてはお前もかー」と
かんぐりたくなる。


問題は福井氏の過去の軽率さを弁護するのではない。経済大国に
ふさわしい政策の推進である。よろしくお願いします。
民主党の渡部国会対策委員長流に言えば、福井総裁は村上某を
見る目がなかったのである。人柄ではなく人が好かったのかも。

父の日 養老の滝

2006-06-18 06:41:24 | Weblog
「父の日」ってなんだろう。名前は聞いたことはあるが、わが家では
恥ずかしながら、その習慣がない。何故なのか調べてみた。この結果
判ったのは、毎年6月の第3日曜日を米国が「父の日」として国民の
祝日に制定した事からきている。昭和45年がその始まりである。
僕の父親は昭和43年に亡くなっている。だから、僕は父親にプレゼント
したこともないし、子供たちも僕に右へならえしたらしい。

わが国には孝子の鑑の例えとして「養老の滝」の話がある。奈良時代
美濃の国(岐阜県)の山奥に住んでいた父親と二人暮らしの木こりが
酒好きの父親に孝行しようと思い、まさかと思いながら黄金色した滝の水
を家に持ち帰ったら、それが本当の酒だったという。この話を聞いた
当時の天皇は感激して年号を「養老」と改めた。昔の修身の教科書にも
出ていた話である。

一方、米国の「父の日」制定の基になったのは南北戦争時代、父親が男手
一つ苦労しながら子供を育てた話。娘さんの一人が後年、父親に感謝の意を
表し、時の大統領にこの話をしたところ大統領もこれに感激、ついには国民の
祝日にまでなった。二つの話とも父子家庭で、権力者が登場してくる点など
よく似ている。




高い代償 陸自のイラク派遣

2006-06-17 06:31:36 | Weblog
イラク派遣の陸上自衛隊の撤退が早ければ6月末にも開始される。なんとも
ご苦労さんの話であった。国連決議1483を理由にわが国がブッシュの尻馬に
のって(いいすぎかな)陸自の本隊をイラクに派遣したのは2年前の2月。
やっと今度の戦争の本質がわかったのだろう。同じアラブのサウジ外相が
指摘しているように結局は内戦だったのである。

自分のことを言って恐縮ですが、僕は長女が生まれた1956年11月(第二次
中東戦争)以来の中東情勢ウォッチャーである。イラクがハシミテ王国
だったころから知っている。僕以上にアラブに精通している日本人は
小池環境大臣(カイロ大學卒業)を始め沢山いる。彼らは最初からイラク
戦争を見抜いていたはずである。

陸自の自衛隊諸君のムサンナ県における人道復興支援は本当にご苦労様
でした。地元の人たちは大喜びだと思う。だが、小泉総理を始め今回の
イラク戦争介入を積極的に支持した政治家諸君、ぜひ今回の介入の代償の
大きさに気づいて貰いたい。それはアラブに対し日本がかっての彼らの
宗主国、西欧諸国と同じ国だったことを印象づけた事である。過去の歴史
の中で日本はアラブとは白紙で付き合える地域だった。それだけに残念だ。




90歳 パソコンへの挑戦

2006-06-16 05:43:02 | Weblog
卒寿(90歳)の先輩が始めてパソコンに挑戦、メール・アドレスを
送ってきた。先輩の挑戦への動機は難聴からきている。耳が遠くなると
電話がかかってきても会話ができない。メールなら、その悩みは解消
されるというわけである。

超長寿社会に入って、僕の周囲にも難聴の友人知人が多くなってきた。
補聴器も格段の進歩をしてきたが、やはり不便らしい。下卑た表現で
恐縮だが、むかしから老化過程は”歯マラ目”の順だといわれてきた。
耳はどうだったのかー。多分、かっては耳が遠くなる前に天寿を全う
していたのであろう。

僕の経験でもパソコンはボケ防止に役立っている気がする。長寿の
秘訣は、絶えずあらゆるものに興味を持ち、それへの挑戦だと聞いた
ことがる。パソコンはたしかに、それを満たしている。卒寿の先輩は
来週から老人用三輪車に乗って駅前のパソコン教室通いだと張り切って
いる。75歳の僕も負けてはいられない。超長寿社会の到来である。


政治家のクールビズ採点

2006-06-15 06:21:22 | Weblog
先日,衆議院の「決算行政監視委員会」と参議院「決算委員会」をテレビで
みて政治家のクールビズ着用模様を"監視”した。なんともご苦労な話だが
毎日ブログを書くとなると、時には題材に困ることもあるのです。
もともと服飾センスのない僕の一方的採点です。ご勘弁を!

院内の設定温度が何度かわからないが、小泉総理をはじめほとんどがラフ
なジャケット姿なので、視聴者の目には、たんにネクタイをはずしただけ,
襟元がいかにもだらしなく映った。クールビズとしての合格点は、谷垣
大臣。白い独特の襟元の服装は清潔だった。悪く映ったのは川崎厚労相。
画面映りのよいブルーはよいのだが、体型からか(ごめんなさい)たんに
上着を脱いだシャツ姿にみえた。

質問に立った民主党など野党議員がみんなしっかりとネクタイをしめ背広を
着込んでいた。クールビズ普及本来の目的は”省エネ"対策である。野党は
みんな”省エネ"反対かと思ったら、菅・民主党委員長代行はクールビズで
質問していた。毒舌の代行だけに新鮮に映ったが、やはりおしゃれ・センス
は小泉総理に軍配は上がった。


北海道の紫陽花(あじさい)

2006-06-14 05:47:06 | Weblog
知り合いの精神病医から聞いた話である。最近の認知症の中に自分の
高齢を忘れ、亭主がいぜん浮気をしているとの妄想から、夫に暴行を
働く患者がいるという。幸い、僕は色男でもないし、カネも力もない
から女房から殴られる心配はないが。

僕はこの話を聞いて、変な連想だが北海道の紫陽花を想いだした。
梅雨のない北海道(札幌)でも、若干本州より時期は遅いが紫陽花は
同じように咲く。そして季節の移りとともに花の色を変えてゆく。
咲き誇ったあとも花びらを散らしもせずにである。このことから
紫陽花の花言葉は”移り気”と不名誉な名を頂戴している。

どうも紫陽花は北海道には似つかわしくない。やはり雨に濡れた姿が
この花にはよい。短い夏が去り、早い秋がきて、時には冬の到来を
告げる"雪虫”が舞っても、紫陽花は、もう一つの花言葉"辛抱強い
愛情”のごとく花をつけている。

紫陽花の花のように、辛抱強ければよいが、認知症でその糸が切れ
たら本当に不幸である。いくつになっても、男と女の関係は難しい
ものである。

サポーターになりたい

2006-06-13 05:42:02 | Weblog
だらしがない話である。あれほど楽しみにしていたW杯サッカー試合、
目を覚ましたら3対1で負けていた。久しぶりに晩酌をしたのが、いけ
なかった。眠くなって夜8時すぎ仮眠してしまったのだ。メディカル・
チェックの結果が良かったので,禁酒を解いてしまったのが仇になった。

報道によると、現地のスタジアムをはじめ、試合を生中継する国内の各
応援基地はサポーターで一杯、熱気にあふれていた。ものすごいエネル
ギーである。僕のような老人には、とうてい理解できない。埼玉スタジ
アムだけで3000円の自由席が2万枚も売れたというから、昨夜全国
各地のPV会場に集まったサポーターの数は数万人にのぼる。

ちょっとの晩酌酒で家でのTV観戦さえ逸した老人とは違う。このサポ
ーターのエネルギーの根源はなにかー。この現象をどう理解したらよい
のかー。ある新聞はプチ・ナショナリズム現象だととらえていた。愛国
心には大も小もないと思うのだがー。こんな理屈をのべること自体老化
した証拠かもしれない。


W杯 神風は吹かなかったが-。

2006-06-12 06:01:21 | Weblog
イランのアフマデイネジャロ首相がW杯サッカーを前に自国選手を
激励した。「アッラーのご加護で勝利する。勝てば応援に駆けつけ
る」-。核問題で世界から孤立しているイランの指導者がくれば、
政治的にいろいろとうるさい。ドイツではそれを危惧したが、幸か
不幸かイランは善戦むなしくメキシコに敗退した。

戦時中小学生だった僕らは、戦争は最後には神風が吹き勝利するー
と真剣に信じていた。あの蒙古襲来のときの神風である。

イランの人たちが敗退をどう思っているか知らない。しかし改めて
スポーツの効能を知った。国と国との争いは人類の業のようなもの
だ。これを抑止しているのがスポーツである。世界中がいまW杯で
沸立っている。しかし、スポーツの世界に政治を持ち込んではいけない。
けっして神風なんて吹かない。興奮したサポーターがどんなに騒ごうと
原爆投下というような事態にはならない。

86歳の学友の講演会

2006-06-11 05:50:09 | Weblog
僕が大學予科に入学したのは昭和23年4月、まだ都内には焼跡が
あちこちに残っていた。教室に入ると驚いた。級友の中には階級章を
とっただけの将校服を着た、復員帰りの”おじさん”が数人もいた。
まだ食糧難で、入学してまもない6月から学校は夏休みに入った。
そんな時代であった。

きのう都内の学会で特別講演したYさんも復員帰り。大正9年生まれ、
誕生日がくれば86歳、僕より約ひとまわり違う。講演内容は学会の
研究発表とは異なる彼の戦争体験である。Yさんは九州出身で、苦学
して昭和16年3月、旧制の夜間中学校を卒業、そのまま郷里の歩兵
連隊に入隊。戦争開始とともにフィリピン、ジャワの上陸作戦に参加、
さらに南冥の東ティモールの地に3年いて、昭和22年に復員という
”歴戦の勇士”である。


Yさんは実に6年余、貴重な青春を戦争のために費やした。6年と
いえば子供が小学校に入学して卒業する時期とおなじである。Yさんは
自分の息子や孫の年代の研究者に対して講演の最後にいった。
「皆さんは最高の幸せ者です、徴兵制度のない国で研究に没頭できる
のですから」86歳の老研究者の言葉には実感があった。