小ブログ(2018年3月3日更新)「海ゆかばは軍歌についてコメンテーターの「ミツバチ28号」さんから最近、貴重なご意見と情報を頂いた。その中で、僕が戦争末期歌われた「比国決戦の歌」(作詞西城八十 作曲古関裕而)に触れたところ、当時「愛国の花」などの作詞者、福田正夫が”武士道にもとる”と抗議していたことを知った。
# 「比国決戦の歌」(昭和19年3月)
決戦かがやく亜細亜(アジア)の光 命惜しまぬ若桜
今こそ咲き競うフィリッピン いざ来い二ミッツ゚、マッカサー
出てくりゃ地獄へ逆落とし
昭和19年10月サイパン陥落後戦局は悪化し、この歌が歌われた頃、僕は中学2年生で、3学期からは学業を離れ軍需工場へ動員されていた。今でも覚えているのは、駅から工場へ行く途中、行進しながら、よくこの歌の最期の繰り返し(リフレイン)の部分”出てくりゃ地獄へ逆さ落とし”を大声上げてガメったことだ。空腹を抱えてやけっぱちでもあった気もする。
軍歌の定義は難しいが、日支事変と呼ばれていた戦争初期には愛国行進曲、愛国の花など愛国を国民に訴えるものが多かったが、敗戦近くになると「比国決戦の歌」など勇ましさを通り越したものが増えてきた。それでも、一方では連日の空襲の中、「勝利の日」(サトーハチロ―作詩 古賀政男作曲)を信じていた。
♯ 「勝利の日まで」(昭和19年3月)
丘にはためくあの日の丸を 仰ぎみる見る見る我等が瞳
いつか溢れる感謝の涙 燃えてくるくる心の炎
我等がみんな力の限り 勝利の日まで勝利の日まで
僕は最後の最後まで戦争は神風が吹いて勝利すると固く信じていた。75年前の銃後の日本である。
なので軍歌だと排除する事がナンセンスに感じます。
歌に歴史遺産があれば登録したいくらいです。
chobimame様が「歌は世相や時代を写すもの」と書いておられる。その通りだが、歌の解釈も世相や時代を映すもの、とも言えるのではないだろうか。
歴史遺産よい提案です。できたら藤田嗣治らが描いた戦争画の常設展示場を設置したらどうでしょうか。歌戦だけでなく、画伯が描いたアッツ島玉砕など後世に広く残すべきです。「戦争」だからと排除したら、その時代が歴史として正しく残らないと思います。
「比国決戦の歌」を広めた軍関係者が戦後責任をとって自刃しています。罪な話です。
80年前もの話、記憶が薄れれてきましたが、僕は空腹を抱え、”いざコイ”のリフレインの部門を怒鳴った記憶が鮮明です。子供心に”破れかぶれ”みたいなところがあったのでしょうか。
戦時中の流行歌は「新雪」「誰か故郷を思わざる」など一部はよく歌いましたが、ほとんど「軍歌」でした。わが家では蓄音器がありませんでしたから、ほとんどラジオから覚えたのでしょう。
卒寿の老人、認知症予防に一度思い切り「軍歌」を歌いたいものです。
kakek様と是非ご一緒にいつか「軍歌」「唱歌」を心ゆくまで歌ってみたいものです。