「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦前昭和の東京の遊び懐古(2)手遊び歌

2019-05-02 05:32:00 | 2012・1・1

一人だけの姉弟の姉が昭和19年5月2日、21歳の若さで早逝してから75年目にあたる。戦中の食糧難の時代、肺結核にかかり、人出不足の過労から僅か3か月寝込んだだけで亡くなった。今と違ってスプレプトマイシンなど特効薬はなく、回復には栄養を取り、体力をつけるだけだといわれていたが、タマゴ一つ、牛乳1本さえ入手できない時代であった。

七つ違いの姉だったから、あまり一緒に遊んだことはなかったが、歌好きの姉だった。たえず口ずさんでいたが、その中でも”手遊び”歌が、今でも僕の耳に残っている。今の季節なら「茶摘み歌」”夏も近づく八十八夜”のあの歌だ。近所に住む従姉と庭に面した庭に座り”トントン”と手をあわせて歌っていた。手遊び歌は”今は山中今は浜”など小学校唱歌が多かった。

戦前昭和の女の子の遊びは”ままごと”をはじめ”ごっこ”のつく遊びが多かったが、江戸時代から伝わる”ここはどこの細道か”とか”隣の牡丹は良い牡丹””かごめ、かごめ”なども路地で遊ばれていた。そのほか”一列談判破裂して””あんたがたどこさ”などのマリつき歌、路上にロウ石で「月火水木金土日」と書いた上を石ケリして遊び、ゴム紐飛び、じゃんけんして”グリコ”"チョコレート”″パイナップル”帰宅の道を競う姿もあった。

今、理屈をつけて言うならば、母親との手遊びはスキンシップを深めるうえでよかったのではないだろうか。

 

 


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