横浜に隣接する神奈川県の制令都市である。東は東京湾に面し,西東部は多摩丘陵にそって細長く広がっている。その中をJ℞南武線が動脈のように走っているが、やはり、江戸っ子にとって川崎といえば太師さまの町である。高尾山、成田と並んで三大̪大師の一つと呼ばれた。戦前昭和の頃、まだ電車のなかった時代の名残だろう。筆者は叔父に連れられて羽田の穴森神社に参拝した後、小舟に乗って川崎大師を参拝した薄くなった記憶がある。
信仰の町とは別に川崎は臨海部に沿って工場群の町である。大正から昭和にかけ大中小の各種の工場が張り付いた。高度成長期にはさらに発展し公害をもたらした。一方、市内の競馬場、競輪場、オートレースのギャンブル場はにぎあった。プロ野球のロッテ球団も専用球団を置いた。筆者はまだ若く遊び盛りの年齢で、宿直明けの時間をみては川崎に出かけ、ギャンブルに勝っても負けても夜の川崎の町を遊興した。戦後がまだ残っていた昭和30年台であった。まだ街に焼き肉店が少なかったころだ、JRの川崎駅近くのガード下のホルモン焼きとキムチとカクテキの味が忘れられない。
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