昔、12月(師走)というと、子供でもなんとはなく、せわしい気分に追い立てられたものだ。空っ風が吹く中を街行く人はコートの襟をた急ぎ足で歩き、盛り場のチンドン屋のジンタが、いっそう、その慌ただしさをかき立てた。駅前に軍服を着て募金に立つ、救世軍のラッパやシンバルの音も、これまた焦燥感を感じさせた。
今年もあと10日を切った。東京では、昨日も最高気温が20℃近くまで上がり、一向に暮末らしさを感じさせない陽気だが、加齢のせいだろう。昔ながらの歳末の焦燥感にかられて、僕は書き上げた年賀状(毎年枚数は減ってきているが)をポストに入れ、その足でいつ、新年を迎えてもよいように床屋へ散髪に出かけた。
東京ではここ数年、あのお馴染みの赤青白の理髪店の店頭のポールがめっきり減ってきた。若い男性や子供が床屋離れして料金の安い美容店へ”くらがえ”している。床屋さんに行くのは高齢者だけになっているようだ。僕も10年来行き付けだった理髪店が、店主が高齢のため廃業したため、この夏から遠くの店に代えたが、今まで3400円だったのが、4100円になった。需要と供給の関係といえ、年寄り泣かせである。
戦前、歳末の理髪店の混雑ぶりも年の暮の風物詩だった。大人も子供も頭をきれいにし、新しい服を着て新年を迎えるのが風習だった。数え日になると、どこの店も大混雑し、除夜の鐘が鳴る直前まで客で一杯だった。今は、一年365日、まったく同じようになり、ケジメがなくなってきた。好いのか悪いのか。すべて来し方に郷愁を感じるようになった、年寄りには寂しい。、
今年もあと10日を切った。東京では、昨日も最高気温が20℃近くまで上がり、一向に暮末らしさを感じさせない陽気だが、加齢のせいだろう。昔ながらの歳末の焦燥感にかられて、僕は書き上げた年賀状(毎年枚数は減ってきているが)をポストに入れ、その足でいつ、新年を迎えてもよいように床屋へ散髪に出かけた。
東京ではここ数年、あのお馴染みの赤青白の理髪店の店頭のポールがめっきり減ってきた。若い男性や子供が床屋離れして料金の安い美容店へ”くらがえ”している。床屋さんに行くのは高齢者だけになっているようだ。僕も10年来行き付けだった理髪店が、店主が高齢のため廃業したため、この夏から遠くの店に代えたが、今まで3400円だったのが、4100円になった。需要と供給の関係といえ、年寄り泣かせである。
戦前、歳末の理髪店の混雑ぶりも年の暮の風物詩だった。大人も子供も頭をきれいにし、新しい服を着て新年を迎えるのが風習だった。数え日になると、どこの店も大混雑し、除夜の鐘が鳴る直前まで客で一杯だった。今は、一年365日、まったく同じようになり、ケジメがなくなってきた。好いのか悪いのか。すべて来し方に郷愁を感じるようになった、年寄りには寂しい。、
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