昔は「新宿」といえば、JR(国鉄)新宿駅東口前から江戸時代、大名の内藤氏の宿場があった一帯をさした。戦前昭和の子供時代だった当時の遠い記憶がよみがえってくる。「新宿」にはすでに伊勢丹、三越ふたつのデパートがあり、帝都座、ムーランルージュなどの映画館がいくつもあった。中村屋、紀伊国屋、二幸などの老舗の名前もいまだに憶えてている。
東口も昭和20年5月の空襲で焼け野原になった.。筆者はそのトタン張りの闇物資を買いにでかけた。パチンコ屋ビンゴ屋から客寄せの軍歌ががなり出ている頃だった。今や新宿有数の繁華街ある歌舞伎町は昭和23年の町村合併できた。その発展の引き金になったコマ劇場は今はない。
かって都電が走っていた当時、電車が靖国通りにカーブする一帯を「二丁目」と呼んでいた。一般に「赤線」といわれ昭和34年3月まで、我が国では売春が許されてた。「二丁目」はそのひとつであった。これに対して花園神社脇や地下鉄御苑口駅近くにも非公認の店があり「青線」と呼ばれていた。半世紀も前の話だ。
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