リオジヤネイロ五輪パラリンピック組織委員会会長の森喜朗会長が、先日の選手壮行会の席上”国歌も歌えない選手は日本の代表ではない”と挨拶したという。式の直前行われた、自衛隊音楽隊、松永美智子陸士長の「国歌独唱」の際、選手たちが”独唱”をそのまま”独唱”と考え、口をモグモグさせていたのを批判したものらしい。若い選手からみれば、会場アナウンスは”独唱”であり、ステージの式次第にも”独唱”と書いてあれば、はたして一緒に歌ってよいものかどうか判断に苦しんだのかもしれない。
”神の国”発言の森会長から見れば、国歌は直立不動で歌うというイメージがあり、”独唱”も”斉唱”も一緒なのかもしれない。森会長が戦争中幼少の頃は、国歌は”斉唱”であり、他人が”独唱”して、手を胸に当て、これを聞くという習慣はなかった。”独唱”とい形式は戦後、外国から渡ってきたものだ。それが、まだわが国では板についていないから、どうして、よいのかわからない日本人が多いのではないのだろうか。
サッカーの”なでしこ.ジャパン”が世界大会で優勝したとき、全員が胸に手をあて国歌を歌っていたシーンが印象に残っている。リオ壮行会の時はどうなったのか。選手たちは、胸に手を当てて聞けば、森会長から”お小言”を頂かなくと済んだのではないか。最近テレビをみていると、やたらに”ハグ”のシーンが目立つ。かっては抵抗があったが、今ではそれほどでもなくなってきた。同じように手を胸に当てて国歌を聞くのも自然になってくるのかも。
”神の国”発言の森会長から見れば、国歌は直立不動で歌うというイメージがあり、”独唱”も”斉唱”も一緒なのかもしれない。森会長が戦争中幼少の頃は、国歌は”斉唱”であり、他人が”独唱”して、手を胸に当て、これを聞くという習慣はなかった。”独唱”とい形式は戦後、外国から渡ってきたものだ。それが、まだわが国では板についていないから、どうして、よいのかわからない日本人が多いのではないのだろうか。
サッカーの”なでしこ.ジャパン”が世界大会で優勝したとき、全員が胸に手をあて国歌を歌っていたシーンが印象に残っている。リオ壮行会の時はどうなったのか。選手たちは、胸に手を当てて聞けば、森会長から”お小言”を頂かなくと済んだのではないか。最近テレビをみていると、やたらに”ハグ”のシーンが目立つ。かっては抵抗があったが、今ではそれほどでもなくなってきた。同じように手を胸に当てて国歌を聞くのも自然になってくるのかも。
国歌を歌うという、至極当たり前の事が出来ないという異常さを感じるべきです。
なんでも欧米のマネは、どうかと思いますが、国歌を当たり前に歌うところは、もっと影響されろと思います。
戦後の占領政策の影響です。昭和37年、ロンドンの大衆演芸場で観劇したとき、最後に観衆が全員立って国歌を歌った時の光景が目に浮かびます。ものすごい新鮮さを感じました。当時敗戦から10何年経っているのに、日本では大相撲の千秋楽ぐらいしか歌われていませんでした。従って戦後教育を受けた日本人は国旗も国家も知らないわけです。
昭和12年生まれの森さんがやっと知っているぐらいですが、彼は神の国発言でもわかるように、偏見と取られる失言が多いです。