上野から一駅に日暮里駅がある。日本語には少ない促音が入ってい昔のてアイヌ語で、一日過ごして暮らすという説もあるが、確かではない。今は成田空港へ行く乗り換え駅であり、かっては駄菓子や玩具の問屋街、今は格安繊維を扱う店が多い。
この日暮里が明治の中葉まで豐島郡日暮里村であった。明治17年生まれの亡父は少年時代大字が金杉という地に祖父一家と住んでいたが東京府職員を退職、幕府の代官手代時代から住んでいた家を売っての隠居生活だった。それだけに豪邸で屋敷内には井戸が二つもあり、泳げる池もあった。
昭和の終わりごろか東京では、「谷根千」という言葉を耳にする。郷土史家が谷中、根岸、千駄木の頭三文字をとって作った造成語である。現在は台東区と文京区にまたがってるが、徳川時代からのなにか共通したものが残っている。
祖父の死後わが家は、波乱万丈、日暮里の家を売却したが、移転した先はすべて「谷根千」内の借家であった。明治時代の東京は貧しく小さかった。
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