「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

難しくなった葬儀への対応

2018-01-27 06:00:15 | 2012・1・1
新しい年になってまだ、1か月足らずなのに、友人知人の訃報が4通も届いた。昨日も家族が町の掲示板に近所に住む町内会の世話役の訃報が張ってあったと知らせてきた。まだ僕より10歳近く若い方だ。彼のお母さんの葬儀にも出ており、昔なら当然お通夜告別式に出る中だが、二人とも通院日と重なってしまった。

最近、新聞の死亡欄を見ると、葬儀の簡素化からか、また他人に迷惑をかけては悪いという配慮からか葬儀を親族だけで済ますケースが多くなってきた。その”配慮”からか、生前親しかった友人でも、遺族からの知らせがなく、年賀状をみて礼儀的に知らせてきたように思われる。

訃報を受けた側も、その対応が難しい。若い現役の頃は多少葬儀場が遠くても出かけたものだが、80歳半ばを過ぎると、お通夜の参席は無理だし、足腰が弱って遠方への告別式へのも出席も無理である。結局、故人との生前の関係にもよるが、遠くから合掌して失礼することが多くなった。数年前までは、弔電を打っていたが、弔電はIT時代前の”遺物”で、果たしてご遺族に弔意が伝わっているかどうかわからない。それにバチがあたるかもしれないが高くて最近はやめた。

暮の喪中葉書が最近では、死亡葉書化してきたが、時代とはいえ寂しい感じがする。わが家では喪中葉書を受け取ると、生前のお付き合いの度合いにもよるが、仏前に菓子をお贈りしたり、少なくと故人への弔意を一言書いた葉書を送ることにしている。小さな家族葬には反対ではないが、人の死があまりにも簡単に扱われ始めた気がする。





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