生誕114年の亡父の残した敗戦直前の昭和20年6月6日の日記帳を読みなおしてみたら、改めて”5月28日以来東京に灯りがつきラジオが聞ける”と書いてあった。5月28日とは東京の新宿方面に空襲があった日だ.。その日から東京は1週間も電気が止まりラジオも聞けない日が続いていたのだ。4日の日記には朝刊を共同販売所まで取りに行くとある。
6月7日には中学3年だった老生は、東京の両親のもとを離れ、千葉県柏市の江戸川運河の運河の掘削工事に学徒動員されてる。亡父の日記を待たず、老生は上野の西郷さんの銅像前のあの日の情景が記憶にある。破帽、はだしの空襲で焼け出された孤児たちがたむろしていた。
運河掘削工事は7月初めまで動員された。電気などない掘立小屋に住み,もうそう竹の食器に一汁一食だった 。糖衣の消化薬がおやつ代わりだった。さいわいなこと、この時期、東京では大空襲はなかった。
テレビの中のウクライナ報道も時と共に関心が薄れてきています。
世界のどこかでは必ず紛争がある。
なぜ人間は戦う事をやめられないのでしょうか。