世界の空前絶後のパンデミックスといわれる「スペイン風邪」から今年は101年目だが、「コロナ.ウィルス」の大蔓延に触発されて、当時の日本人の対応はどうなったのか、亡父(1887年ー1969年)の遺品の日記を探したが見当たらず大正14年(1925年)のが出てきた。日本でも39万人が死亡したといわれる「スペイン風邪」から7年目だが、父はインフルエンザではないがチフスに罹り1か月、東京白金の伝染病院に入院していた。
戦前の時代は伝染病が身近な存在だった。国民病といわれた結核を筆頭に記憶にあるだけでも赤痢、疫痢、コレラ、チフス、ペストetc。子供心に覚えているが、東京では毎年梅雨時に一斉の予防注射が実施された。会場には制服の警察官が立ち会っていた。
亡父は大正14年2月初め頃から37℃代の微熱を繰り返し続き咳やタンが止まらないため、検査したら3月7日血清からチフス菌が発見された。10日には”巡査と町史がドヤドヤと家にかけつけ患者専用の狭い不気味な車に押し込まれた”。”病室は壁も天井もすすけた灰色で、鉄のベッドが二つ備えてあった”
阿倍総理が新型コロナウィルスの拡大を受けて非常時宣言ができる特別措置法について野党と協議しているが、こと国民の生命に関することであり、国家の存在にも影響する問題だ。一日も早く法律を成立させ、国家管理の下で流行を抑え込まなくてはならない。
この法改正は必要だと思いますが、野党がまた言論の自由、表現の自由、人権だとか権利主張の話にすり替えて難色を示す動きをしています。
日本は過度に自由や権利が一人歩きしているように思います。
どんな有事でも、自由だ権利だと言われては、何も出来ません。それこそコロナも移されない自由もあれば、移す自由もあるとか、訳の分からない話になってきます。
日本は精神面も社会制度も、かなり遅れている気がします。とくに日本の政治家は大丈夫でしょうか。
スペイン風邪をあらためて調べたら、ものすごい猛威だったのですね。1世紀前とはいえ、コロナ.ウィルスの比ではありません。この体験に基づき,わが国の伝染病防止対策も整備されていったのでしょう。戦前の国家主義体制下で政府としては”号令一つ”で動きやすかったかもしれません。しかし、今はご指摘のような問題があります。しかし、人命に関することです。強権は困りますが、国家として統一した対策がなければお隣の国の二の舞です。