"かんのんさん”の名で親しまれている浅草の観音様の正式の名前は金龍山浅草寺という。言い伝えによると、推古36年(625年)の奈良時代、宮戸川(今の隅田川)の川底から漁師の兄弟が5センチほどの仏像を発見、祠に奉納したのが始まりだという。この話は鎌倉時代の「吾妻鑑」にも出てくるという古い話だ。
この観音様が今のように世界の観光地としられるようになったのは、江戸時代の終わりごろ、観音信仰が徳川将軍の支持を受け、江戸庶民の間で盛んになってきてかららしい。観音様本堂の入り口、総門には雷門という一目をひく大きな赤提灯がつるされ、本堂まで仲見世商店街までつくられた。その賑わいは明治時代になってますます盛んになってきたようだ。
わが家は”三代続く江戸っ子”で、先祖の墓が旧浅草区清島町にある。観音様まで歩いて15分の近さだ。春秋の彼岸やお盆には墓参後観音様に,詣で仲見世で「雷おこし」 を買い、新世界の遊園地で遊んだ。時には六区の映画街で喜劇を見た。戦前昭和、藪入りの休みがあった時代だ。往時の賑わいは今では想像できない。
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