24年後の2041年(平成51年)には日本の人口が1億人を割り込むという推計が厚労省から発表になった。少子高齢化がさらに進み、かって経験のない人口減少社会の出現である。僕ら老人は、もうこの世にはいないが、毎日新聞は”高齢者引退なき時代”という見出しをつけている。”1億総活躍プラン”といっても、赤子子供までいれて1億人に足りなければ、働き手不足から引退できないという極論である。
24年先といっても、そんなに先ではない。80歳を越えた老人にとっては24年前のことは、つい、昨日のように思われる。24年前の1993年、僕は62歳で現役で働いていた。足腰もしっかりしていて、年に数回海外旅行に出かけていた。認知症といった言葉もなく、将来の自分の介護などまったく心配していなかった。ただ漠然と”老後の生活”を考えていた。
”高齢者引退なき時代”とは、働き手人口の不足から、定年を過ぎても働かなくてはならない。年金支給年齢が今より引き上げられ、働かざるをえないといのである。ご隠居生活は許されない。余生を楽しみたくても楽しめないのだ。現在の老人に対する年金制度、医療福祉制度は、曲がりなりにも作用していると思う。しかし、この制度が今のままで持続されてゆく保障はない。
”高齢者引退なき時代”には定年年齢は何歳に引き上げられるのだろうか。まさか撤廃されるとは思わないが、平均寿命が飛躍的に伸びるとは思えない。”飼い殺し”というイヤな言葉があるが、まさか死ぬまで働く時代が来るのであろうか。人間である。人生には老後を楽しむ隠居生活があらまほしきものだ。
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24年先といっても、そんなに先ではない。80歳を越えた老人にとっては24年前のことは、つい、昨日のように思われる。24年前の1993年、僕は62歳で現役で働いていた。足腰もしっかりしていて、年に数回海外旅行に出かけていた。認知症といった言葉もなく、将来の自分の介護などまったく心配していなかった。ただ漠然と”老後の生活”を考えていた。
”高齢者引退なき時代”とは、働き手人口の不足から、定年を過ぎても働かなくてはならない。年金支給年齢が今より引き上げられ、働かざるをえないといのである。ご隠居生活は許されない。余生を楽しみたくても楽しめないのだ。現在の老人に対する年金制度、医療福祉制度は、曲がりなりにも作用していると思う。しかし、この制度が今のままで持続されてゆく保障はない。
”高齢者引退なき時代”には定年年齢は何歳に引き上げられるのだろうか。まさか撤廃されるとは思わないが、平均寿命が飛躍的に伸びるとは思えない。”飼い殺し”というイヤな言葉があるが、まさか死ぬまで働く時代が来るのであろうか。人間である。人生には老後を楽しむ隠居生活があらまほしきものだ。
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長寿は、誰しもが望んでいましたが、今の国の現状では、長寿に恐ろしさすら感じます。
安定した暮らしがあっての長寿です。
人生50年時代の方が、人の意識にも緊張感があり、次世代へ何を繋ぐかという事を真剣に考えるのかもしれません。
もう100歳なんて珍しい時代ではないので、80歳90歳まで働くしかないのか、はたまた外国人移民の国になるのか?
国が真剣に少子化と介護問題に取り組まないと、とんでもない国になってしまいそうです。
戦争中流行した歌に”立て1億の底力”という歌がありました。産めよ増やせよで、国力をつけようという当時の国策でした。それが、あと20数年で1億を割り、老人の手まで借りなければならない時代が来るかもしれないという。
死ぬまで働かなければ、ならないといのは、悲劇です。なんのための人生なのかです。
叡智を集中して将来の日本の姿を、今から描き、それによって国策を今から考えるべきです。持続可能な福祉社会、きちんとした政策に基づいた海外からの助っ人受け入れを考えるべきです。