「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

開花の記録がない昭和20年空襲下の東京

2018-04-18 05:26:36 | 2012・1・1
昨日、近くのクリニックへ月一回の定期診断へ出かけたら、目黒通りの植栽の躑躅(つつじ)が盛りに近づいていた。この辺りは戦争のため、建設が中断され、戦後五輪近くまで湿地だったところだ。

昭和20年の亡父の日記を読み直してみたら、いつ桜が咲いたのか記録がない。戦時下のめ気象情報は一切なく桜の開花宣言などなかった。かわって警戒警報、空襲警報の発令、解除の時間が克明に記されている。4月15日、東京の城南地区は3月10日以来の大空襲に襲われ、841人が死亡した。当時、隣接の目黒区に住んでいた父は”初めて空襲の脅威を感ずる”と記している。

昭和20年は天候不順で東京でも豪雪を記録しているが、春の到来も遅く、12日の日記にやっと合服に替えると書いてある。15日の空襲で蒲田の動員先の軍需工場が焼け、電車も停まったため僕は片道7キロ歩いて通勤した。ちょうど、躑躅が咲く今頃の季節だが、まったく記憶がない。庭には防空壕が掘られ、空き地は家庭菜園になっていた。父の8日の日記”ラジオは久しぶりに軍艦行進曲の鳴り物入りで琉球沖の戦果を伝えるが、さほどの感銘を与えず、新内閣(鈴木貫太郎)の景気づけ”とある。

戦争中の家庭菜園のかぼちゃの黄色の花が記憶にあるが、やはり自然な躑躅の花のほうが平和でよい。

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