”めででたさも 中ぐらいなる おらが春”(白井一之)
”初春や冥土の旅の一里塚 楽しくもあり楽しくもなし”
老人の僕にとっては、まさにこの心境だ。三が日、僕はこれといってすること
もなく、ほどほどに酒を飲み、ほどほどにテレビを見てすごした。そんな中での
唯一の話題は、高校1年の孫(男)がスーパーの催事場で初めてアルバイトを
して他人さまからおカネを頂いたことだ。
アルバイトという言葉はドイツ語の"arbeit"(労働)からきている。敗戦直後まだ
旧制高校があった頃、学生が学費稼ぎに仕事をすることを気取って”アルバイト”
と呼んだ。僕も昭和23年夏休みに当時多摩川べりにあった水泳プールで初めて゛
アルバイトをした。大学の予科1年(現在の高校3年)の時で更衣所でお客の脱い
だ衣類を預かる仕事であった。当時はロッカーなどなかった頃だ。
学生時代は家庭教師から始まっていろんなアルバイトをした。トラックの荷台に
乗って荷物の揚げ降ろしをする”上乗り”。鉄道線路でケーブルを引っ張る線路
工夫の手伝い。理科系の大学生に”化けて”旋盤工の真似事などなど。でも焼
跡時代には、なかなかアルバイトはなく、地方から来ている学生の中には自分
の血を売って生活していた。
今の学生たちの中には、学費稼ぎにアルバイトをしている者はあまりいない。わ
が家の孫もそうである。孫の初バイトを一番喜んだのは娘夫妻である。そっと隠
れるようにして孫の仕事場を覗いてきたようだ。中くらいなる庶民の春である。
”初春や冥土の旅の一里塚 楽しくもあり楽しくもなし”
老人の僕にとっては、まさにこの心境だ。三が日、僕はこれといってすること
もなく、ほどほどに酒を飲み、ほどほどにテレビを見てすごした。そんな中での
唯一の話題は、高校1年の孫(男)がスーパーの催事場で初めてアルバイトを
して他人さまからおカネを頂いたことだ。
アルバイトという言葉はドイツ語の"arbeit"(労働)からきている。敗戦直後まだ
旧制高校があった頃、学生が学費稼ぎに仕事をすることを気取って”アルバイト”
と呼んだ。僕も昭和23年夏休みに当時多摩川べりにあった水泳プールで初めて゛
アルバイトをした。大学の予科1年(現在の高校3年)の時で更衣所でお客の脱い
だ衣類を預かる仕事であった。当時はロッカーなどなかった頃だ。
学生時代は家庭教師から始まっていろんなアルバイトをした。トラックの荷台に
乗って荷物の揚げ降ろしをする”上乗り”。鉄道線路でケーブルを引っ張る線路
工夫の手伝い。理科系の大学生に”化けて”旋盤工の真似事などなど。でも焼
跡時代には、なかなかアルバイトはなく、地方から来ている学生の中には自分
の血を売って生活していた。
今の学生たちの中には、学費稼ぎにアルバイトをしている者はあまりいない。わ
が家の孫もそうである。孫の初バイトを一番喜んだのは娘夫妻である。そっと隠
れるようにして孫の仕事場を覗いてきたようだ。中くらいなる庶民の春である。
ご年賀有難うございます。
こちらこそよろしくお願いします。
正直いって、こちらもネタ切れです。やはり現役時代と違って、行動範囲が狭くなり、それにつれて思考範囲も狭まります。まあまあ年齢相応にゆっくり続けてゆきます。
最近はコメントも盡きた感があり、余り投稿しておりませんが、貴ブログは毎日拝見しております
今年もご自愛の上、旧に変らぬ記事を期待しております
たしかにおカネを稼ぐ大切さがわかりますね。僕は初給料で頭につけるポマードを買いました。残りは母親に渡した記憶があります。
孫の初給料は僕にまでまわってきませんでした。
おめでとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
東工大で2年間もバイトをされたのですか。大晦日に大岡山まで自転車で買物に行ってきたばかりです。多分、大岡山の変わり方には驚くと思います。地下鉄の乗り入れ(武蔵小杉まで)で駅舎が立派になり、東急ストアが進出しきました。
このため、駅前商店街(とくに目黒区側)が寂れてきました。
やはりバイト先の人間関係で違いますね。
最近は、みんなやっているようですね。僕らの時代には、やりたくとも仕事がなく九段にあった学徒援護会が斡旋していました。歌にある「町のサンドイッチマン」(看板をボデイに挟んだ人間広告塔)をしていた仲間もいました。バイトがこうじて学校をやめていった友人もいました。時代が違いすぎますね。
両親としては女の子の場合は、やはりバイトを考えますね。僕の二人の娘も高校時代バイトをしましたが、知り合いの弁当屋とか神社の巫女さんだったです。
社会に触れ、金銭感覚を養うよい機会ですが、父親としては、chobimameさんのご両親と同じ気持ちだったです。
僕の場合は旧友に言わせると、お前から
酒も麻雀も悪いことはみんな教わったといっています。バイトの効用かもしれませんが、自慢にはなりません。
ワタシもお孫さんと同じでスーパーの催事場で
年末年始だけのバイトをしました。
そのときにもらった初給料で母と食事をした
記憶があります。
バイトをしてお金を稼ぐ大変さがわかりました。
いい経験をされるといいですね。
さてお孫さんも徐々に自立されているのですね。私は高一の頃タバコ屋さんの店番が最初のバイトです。父が家に帰らず自分の食べる分をバイトでまかなうためでした。そこはすぐに辞めましたが、そのあとは友達のご両親の勤めていらした三菱重工業でお世話になったり、東工大で二年間バイトさせていただきました。進学が選択肢になかったからできたことですが、ためになったし人の暖かみも感じてよかったと思います。
生活費というよりは、みんなやってるから…という感覚でした(汗)ただ、やってよかった、というのは実感でしたね。コンビニで一日中だったり、百貨店でだったり、NHKの子供番組のイベントもやりました。接客業が一番勉強になったかも…。
娘さんご夫婦、心配でもあり、うれしくもあり…なんでしょうね。バイトとはいえ、一社会人としてのひとつ踏み出したお孫さん、kakekさんも楽しみですね。
これは、みな同じですから。笑
私は学生時代、一度もバイトをしたことがないのです。
父に強く反対され、やりたくても出来なかったのです。
学校に行くにも車での送り迎えで、ちゃんと帰宅時間が決められていましたし、学生の頃からお金の話をするのは、下世話だと言われていました。
しかし!社会人になってバイトをしておけば良かったと思うことが多々ありました。
同期入社の子たちは、みんな学生時代にバイト経験があり、社会というものがどんなものかというのを体感していたので、私より動きが俊敏で、次のやるべき事が連想が出来るのですが、私は触るもの見るものが始めてで、ただボーッとしてるような常態。
何をして良いのかまったく判りませんでした。
完全に出遅れという感じが自分の中にありました。
それで親に「なんでバイトをさせてくれなかった」と、自分の遅れを嘆いたことがあります。
なので、自分の子には絶対にバイトをさせたいと思っています。
守銭奴みたいになられるのはイヤですが、早くから社会の仕組みを感じることは良いことだと思います。
お孫さんも、とてもよい経験になったと思います。
やはり子供には、他人の飯を食わせることも大事なのです。