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ウェイブマーケティングコンサル、ホームページ製作及び、作り方をお教えする(株)ブレインアソシエイツ社長の日記

口コミを装った広告宣伝

2011-09-01 18:58:10 | Weblog
ヤフー知恵袋で口コミを起こしませんか、という営業が掛ってきました。ヤフーで依頼人のジャンルに質問している人に対し、書き込み、その中で依頼会社を推奨するというものです。

自作自演でバレるのではないかかと聞いたら、IPを分散しているので大丈夫だと言う事です。
書き込み15件で5万円と高めです。15件のうち1件でも成約に結び付いたらコンバージョン率6.6%だから大したものかもしれませんが、1商品当たり5万円の広告費だから割に合うのは少ないでしょう。

口コミは売りたい側にとってありがたいことですが、口コミを仕掛けるということはもう既に口コミではないという事になります。

人気タレントがブログにおしゃれなパーカーを着た写真を載せて、「着心地がよいので、お気に入りです」とコメントするなど頻繁にありますが、既に流行っているものでない限り、広告宣伝ですから。販売会社がタレントにお金を払って書き込ませます。

食べログは既に機能を失われているようです。口コミはどのくらいの割合か知りませんが、店側が依頼したものが多いそうです。どうりで行ったレストランが口コミと違ってがっくりしたわけだ。

企業のFacebook のFacebookページにいいねボタンを押すことを条件にプレゼントをするなど、ある種口コミを金で買う行為ですよね。目立つ所はFacebook側が目をつけていますが、結構逃れてやってます。

口コミを装った広告宣伝ということですが、一方向のコミュニケーションから双方向コミュニケーションが主流になってきた今でも、利潤を追求するのが企業ですから、その手段である広告を排除することは不可能でしょう。

口コミを装った広告宣伝、意図的な口コミは受け取る側として歓迎する人はほとんどいないと思いますが、立場変わって発信側に立てば、喉から手が出るほど口コミによる集客がほしいのが本音じゃないでしょうか。とすると致し方のないことかもしれません。




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0から1を生む事

2011-08-08 09:18:18 | Weblog
先日出たITフォーラムで「ストーリーとしての競争戦略」の著者の楠木健教授の話を聞きました。教授は企業戦略研究科教授で、文字通り企業の戦略を研究している人で、数々の実業家とも懇意にしているそうです。

面白かったのは、それだけ企業の戦略について研究しているなら、実業家になったらと言われることに対して、今までもならなかったし、今後も一切なる気がないと行った事です。

なぜなら大変だからだそうです。笑いました。教授でこんな正直に答える人は珍しいです。

かつて中小企業相手に講演を行ったある経営学教授が、中小企業の社長がPPMに関する質問をした時、そんなことも知らないで経営をしているのか、と怒鳴ったそうです。その社長は経営学のいろはを知らなかったというわけです。

それを聞いて教授はアホかと思いました。経営学を知らなくとも、 中小企業の社長は経営を実践しているのだから、それはそれで立派なものでしょう。

理屈ばかり揃えても実践には通用しない、その教授は学問のための経営学の教授であって、じゃあその理論に基づいて、実践できるのかと言いたいです。

そういう学者が多い中、実践は出来ないからやりませんと言った楠木教授は新鮮に見えました。

企業経営はけもの道とはよく言ったものです。また企業経営でも、既存の組織のなかでの経営と起業してからの経営も、180度違うように思います。

なんでそんなこと言えるのと思われますが、自分自身が両方経験しているからです。既存の出来上がった組織の上で、経営するのはそれなりに大変な事が多いですが、一から起業して経営するというのはもっと大変です。

よく0から1を生むのは大変だと言われますが、それは50のものを1000にするよりともすると大変かもしれません。会社の専務であったときはなんとなく分かっていても実感としてありませんでした。

0から1を生む大変さはやった人間しか分からないような気がします。それだけ得るものも大きいとい事でしょう。



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葬式に見る人間の浅ましさ

2011-07-22 23:21:55 | Weblog
先日、お世話になった人の告別式に行ってきました。お世話になった人は誰でも知っている小売の大企業の常務を務めた人で、業界では有名な人でした。さぞかし関係各位が多く、大規模な葬儀で、これは外で炎天下の中で大分待たされるだろうな、と思いました。

しかし行くとびっくりするほどこじんまりしていました。時間どおりに行ったのですが、中に入ったら人数は60~70人で、一般的な人の葬儀と変わらなかったです。

さすがに弔電は各大企業の社長の名前で着ていますが、参列している人にそれらしき人はいません。

その方が残した業績はすばらしく、小売業界全体を活性化した立役者です。どんな人でも知ってるデパート共通券を初めて世に出した方です。その割には静かな告別式でした。
(それが悪いと言っているわけではありません。)

その方の母親が亡くなった時は壮大な葬儀だったそうです。経済界、その方の関係各位、市長、各団体、総出だったらしいです。母親自体が有名だったか、どこかの社長だったのか、いえ、普通の母親だったという事です。

なのにどうして、と思われるかもしれませんが、その方の母親が亡くなった時は常務の方は現役でした。引退して10年以上たって本人が亡くなられました。つまり現役でなかったわけです。もう気づいている方は気づいていると思います。


つまり、現役の常務でバリバリやっているころは、近づくとメリットがあるので、母親の葬儀にわんさ参列したわけです。功績を残したといえども引退してしまって影響力がなくなると、メリットがないので来ないんです。ご子息の方はまだ若いのでこれからということで、ご子息の関係でも、そんなに来られなかったみたいです。

なんという浅ましさ、人間の欲が垣間見られます。故人が亡くなって、悲しむのは身内とごく近しい、お世話になったと感じる一握りの人で、大半は今後の事を考え、繋がっていた方がいいという目論見で来る人のように感じます。

そう考えると、葬式で故人を悲しむ人間の数は、有名であろうとなかろうと、お金をもってようとなかろうと、それほど変わらないように思います。
葬式に来る人の人数でその人の生前の力量が分かる、と言う人もいますが、そんな目論見のある人で人数の上乗せをしたところで、どうでもいい事です。




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ソーシャルメディアをやらない選択

2011-07-05 08:44:23 | Weblog
先日ある経営研究会に参加しました。参加したメンバーは中堅企業の社長さんが中心です。みなさんそれぞれの分野で活躍されている方たちですが、ソーシャルメディアを個人レベルではやっている人が2,3人いましたが企業として積極的に活用している方はゼロでした。

会社を大手企業、中堅企業、中堅以下(中堅以下とは社員5,6人以下、個人企業とします)と分けた場合、ソーシャルメディアを企業戦略に取り入れているのは大手か中堅以下が多いのではないでしょうか。

大手は人材が豊富です。ウェブ専門で人を配置出来るし、資金的にも余裕があるので外部を積極的に活用でき、情報に対する対応が早いです。(遅いところもありますが)海外戦略を取っているところなどは特にfacebookには注力するところが多いでしょう。

逆に中堅以下であると、動きやすいというのがあります。社長自らソーシャルメディアに傾倒しているケースが多々あると思いますし、社員にやらせるにせよ、社長直々の命令なので動きやすいというのがあると思います。


問題は中堅企業です。常に新しいものを取り入れる柔軟な体質の企業であれば問題ないのですが、そういう企業は多くありません。企業も中堅ともなると取締役会で複数の役員がいますのでワンマンな社長でも常に評価にさらされ、意外に身動きが軽く出来ません。

ソーシャルメディアの問題は対費用効果が測定しにくい、仮に効果が出るにも時間がかかるということです。ソーシャルメディアは直接売り込みをかけると逆効果という土壌ですから、営業とはかけ離れて見える業務を時間をかけて行わなければなりません。

そうすると仮に1人専業を置いても、その人物の評価をどうすればいいかという問題が出てきます。中堅企業に余分な人材、余分な業務というのはありませんから、常に社長以下全員がギリギリのところでやっています。(そうでないところはいづれ潰れるでしょう)
その中でパソコンの前でソーシャルメディアをやっていれば、他の従業員には仕事より遊んでいるとしか見えません。大手の担当者でさえ、他の部署の人間から理解されにくいということがあるくらいですから。

だから専任で置きにくいという傾向があると思います。大抵は本業と兼ねさせる、評価は本業が対象となるので、ついでになりがちです。結局のところまったくやらないか、中途半端に終わる、ということになります。

その場合返ってやらないという選択の方がいいのかもしれません。




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人を殺して成長する

2011-06-20 23:19:52 | Weblog
数年前早稲田の講堂で、○セラの会長が講演をしたのを拝聴した事があります。会社創立から今日までの苦労を話されました。

非常に苦労されて、今日日の目を見るまで至ったということですが、印象的だったのは、創立時は従業員にストライキをやられて、回避するため従業員と雇用の保証と一定の水準の賃金の保証をして、その時から従業員を養う事を目的に事業を行うことにしたという事です。

もうひとつ、上場するときに通常創業社長であれば、保有株式の一部を市場または引受に譲渡することにより今まで手にした事がない大金を得るものですが、その会長はそんな金額を手にすると人生くるってしまうという事で受け取らなかったという話があります。

それを聞いた時、この人は聖人君子かと思いました。そのくらいの気持ちでなければ会社をあそこまで広げる事は出来ないもんだと感心した事を覚えています。

先日たまたま社長同士の集まりで、○セラと同業の中小企業の経営者の方と話しました。話の流れのなかで○セラの話が出てきて、○セラでしたら企業体質がいいから、組みやすいのではと言ったら、とんでもない○セラなんて、周辺業者を殺すことで悪名が高いと否定されました。

周りの中小企業の何社も自殺者が出たとか。業界なら周知のことらしいです。ロックフェラーの話を思い出します。ロックフェラーは競合相手を自殺に追い込むほど冷酷無比だったという事です。

それに加え○セラの本社の窓はすべてちょっとの隙間しか開かないようにしてあるそうです。なぜかというと全開出来てしまうと飛び降り自殺する従業員が出てくるからです。
なんという会社か!

話の中で人殺しという表現が出てくるということはよほどえげつないということだと思います。

言っている事とやっている事が全然違う。会長が宗教に走るのも、どこかで罪の意識があって償うつもりなのでしょう。

企業を大きくするには、やむを得ないことなんでしょうか。


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