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北条時宗の霊が、「新・元寇」への秘策を語る

2013-05-05 00:00:10 | 日記

ザ・リバティーweb  より

北条時宗の霊が、「新・元寇」への秘策を語る

北条時宗の霊が、「新・元寇」への秘策を語る

 

公開霊言抜粋レポート

 

北条時宗の霊が授ける現代の「元寇」への秘策

「北条時宗の霊言―新・元寇にどう立ち向かうか―」

2013年4月26日収録

今、時代はまさに「元寇」の再来を迎えようとしている。

尖閣諸島を「自国領」と言い張り侵略行為を続ける軍事大国・中国、ミサイル発射を宣告している北朝鮮に対し、頼みのアメリカは動かず、「自分の国は自分で守る」という主権国として当然のことがタブーとなっている日本。このままでは、中国による占領も現実味を帯びてくる。

だが、かつての日本には、決して他国の脅威に屈しないリーダーがいた。史上最大の強大国であった元帝国の侵略を受けながら、真正面から戦いを挑み、「神風」の助けも受け、2度とも元軍をほぼ全滅させるという“完全勝利"を成し遂げた日本の総大将、鎌倉幕府執権・北条時宗がその代表格だ。

大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は、北条時宗の霊を招き、現代日本へのアドバイスを聞いた。時宗ならば、今の「新・元寇」とも言える中国の侵略に対し、どのような手を打つだろうか?

 

 ※本霊言は、幸福の科学の全国の支部・精舎・拠点で4月30日より公開中。また5月中旬から全国書店で発刊予定。

 

 

元の脅しに屈することなく、果敢に迎え撃った北条時宗

 日本滅亡の危機だった2度にわたる「元寇」。当時世界最大・最強の元帝国が、小国日本を占領しようと大軍隊を送ったが見事に撃退した。その勝利の背景には何があったのか。

 まず、元寇の経緯を振り返ってみよう。

 軍隊を送る前段階として、元の皇帝フビライ・ハンは数回にわたり日本に国書を送り、恭順を促し、「従わねば軍を送る」と脅しをかけてきた。

 1268年に元からの最初の国書を受け取ったのは、執権に就任したばかりの北条時宗。このとき満17歳という若さだった。朝廷側はどう対応すべきか毎日評定を続け、返書を書いたが、時宗はこれを拒否し、一切返答を送らなかった。その一方で、元軍の襲来に備えて九州の守りを固めた。超大国の元に対し一歩も領土を譲らないという気概を示したのだ。

 業を煮やしたフビライは、軍船約900隻、約3万の兵を日本に向け出陣させた。これが「文永の役」(1274年)である。

 まず元軍は圧倒的な兵力をもって対馬、壱岐を侵略し、多くの島民を殺害した。その際、捕虜にした男女の手のひらに穴をあけ、ロープで船壁に並べるという残虐な仕打ちを行ったということが、史実として遺っている。

 続いて元軍は、10月16日から17日にかけて平戸・能古島・鷹島を襲撃。20日には博多湾に上陸した。対する日本の武士たちは果敢に応戦する。日本軍は約1万人で元軍の3分の1の兵力、しかも「てつはう(鉄火砲)」という火薬兵器まで元軍は持っていた。だが、武士たちはそんな新兵器に対しても臆することなく突進し、陣を破られても破られても、意気衰えることなく立ち向かっていく。その勇敢さは元軍を震え上がらせたという。

一日で元軍は水城まで進軍したが、日暮れとともに夜襲を恐れて兵を退き、船に帰還した。

 翌21日朝、驚いたことに元軍は博多湾から姿を消していた。夜間に暴風雨が起き、多くの軍船が衝突、沈没し、生き残った軍船もあわてて本国に引き返したのだ。

 

 

2度の「神風」を呼んだ、時宗の信仰心

 だが、フビライは執念深い。1279年に南宋を滅ぼし占領すると、再び日本侵攻計画を立て、幾度も使者を送った。だが、時宗は豪胆にも2回続けて使者を斬り殺し、断固戦う意志表示をした。怒ったフビライは、今度は軍船4400隻、約15万もの大軍を送り、日本を一気に制圧しようと企てた。これが第2ラウ ンドの「弘安の役」(1281年)である。

 日本側も、ただ待っていただけではない。時宗の指示で博多湾岸に約20キロに及ぶ防塁を築いて防衛を固め、弓矢などの武器にも改良を加えていたのだ。そして、よく訓練された約4万の兵が4倍の敵とぶつかり合い、6月6日から約2カ月にわたる戦闘を続けた。

 緒戦で日本軍の反撃に遭い大敗した元軍は、各所で日本軍に圧倒された。壱岐島でも日本軍に攻め込まれて逃げ、援軍を待って平戸に上陸。さらに鷹島に移動し、7月27日、日本軍船と海戦した。

 ところが7月30日、またしても巨大な台風が襲来し、元軍の軍船の多くが沈没した。4400隻のうち生き残った船は200隻だったという。その後も生き残った元軍を日本軍が掃討し、ほぼ壊滅させ、2~3万の兵士を捕虜にした。元軍のうち帰還できた兵士は1割と言われている(4割という説もある)。結果、 元軍は2回とも大惨敗を喫したのだ。

 

 史実を振り返ると、やはり鎌倉武士は強かった。当時世界最強だった元軍(その多くは高麗軍)との、4~5倍の兵力差にもかかわらず、よく防戦した。そのダメ押しとして「神風」が2度とも吹いたという形だ。教科書には日本は劣勢で、神風で撃退したと書かれているケースも多いが、これは史実とは隔たりがあ る。

 日本が世界最強国に勝てた理由は、やはり国のトップであった時宗が脅しに対して毅然たる態度をとり続けたこと。時宗自身が禅宗に帰依するなど信仰心が篤く、全国の神社や寺に異国調伏の祈祷を指示し、国を挙げて祈りを捧げたことが大きいだろう。

 時の亀山上皇と後宇田天皇は伊勢神宮に参拝し祈祷された。伊勢神宮の「風宮[かぜのみや]」(当時は「風社[かぜのやしろ]」)では弘安の役の際に、宝殿より赤雲一群が立ち出でるという神変が起き、その翌日に台風が元軍を襲ったとされている。

 時宗は、弘安の役の2年後、満32歳の若さで世を去るが、死の当日に出家している。まさに、元寇と戦うために日本に降り立った、救国のリーダーだったと言えよう。

 

時宗の時代とそっくりな現代の情勢

 現今の中国・北朝鮮を、この時代に重ね合わせてみると、きわめて似通った構図であることが分かる。たとえば以下のような点だ。

(1)中国は人口13億人という世界最大の人口を持ち、経済的にも日本を抜いてGNP世界2位となっている。

(2)中国の指導者が習近平氏という、世界制覇を企てている人物であり、過去世が元帝国の初代皇帝チンギス・ハンであったことが、幸福の科学の霊査で明らかになっている。

(3)元寇の時に主体となったのは高麗軍(朝鮮軍)であったが、今も北朝鮮が中国の尖兵として日本に脅しをかけている。

 

 さらに今の日本の状況と、元寇前の日本と比べると、どうか。

「戦争放棄」を謳う占領下の憲法を後生大事に抱え、一国平和主義にどっぷりつかってきた現代日本は、貴族中心の平和を謳歌していた平安時代とよく似ている。

 だが、平安末期に源氏と平家の武士勢力が台頭し、「武士の時代」がやってくると、質実剛健の気風が日本全体にみなぎってくる。1192年の鎌倉幕府の成立は、1206年のチンギス・ハンの皇帝即位と軌を一にしている。まるで隣国に巨大な軍事国家ができるのを見越して、日本を強靭なサムライ国家に変える 「日本改造計画」が進行していたのではないかと思えるほどだ。平安貴族の時代がもう数十年も続いていたら、日本はひとたまりもなく元に征服されていただろう。

 今の日本に当てはめれば、戦後60年以上も平和が続き、北朝鮮が日本人を100人以上も拉致しても、ミサイルを発射しても、軟弱な対抗しかしてこなかった時代は、まさしく平和な時代が400年近くも続いた平安時代に当たるだろう。

 だが、4年前の幸福実現党立党を大きな転換点として、ようやく「自分の国は自分で守る」という主権国家として当たり前のことが浸透しつつある。憲法改正もようやく選挙の争点になろうとしている。2013年春の現時点は、源平が台頭してきた平安末期の状況と言えるかもしれない。

 

 だが、尖閣諸島における中国側の執拗な侵略行為を見れば、「日本侵略」のシナリオは着々と進んでいる。元寇の時代と比べれば、日本人の「国を守る気概」はまだまだ低く、日本のリーダーに時宗が登場する時代にまで至ってないように見える。

 果たして、「新・元寇」はあるのか? そして今の日本に「時宗」はいるのか? 「神風」は吹くのか? 

 時宗の霊に、救国のリーダーとしての「秘策」を聞けるなら、安倍首相も防衛省も、どれほど心強いことだろう。

 

 

「拉致問題に手を打たなかったことで、北朝鮮になめられた」

 大川隆法総裁は、その超絶した霊能力によって、古今東西の偉人の霊を、たちどころに呼び出し、霊言という形で語らせることができる。今回は、800年の時空を超えて北条時宗の霊が現代に現われ、語った。

 実は、霊言を送ってくる霊は、生前の時代の意識でとどまっているわけではない(中には例外はある)。霊界からこの世の様子を見て、時代の流れとともに考え方も変わっていく。したがって、生前の記憶も残ってはいるが、霊格が高くなるほど現代に精通しているのだ。

 北条時宗の霊も、やはり現代の日本を取り巻く情勢には強い関心を持っているらしく、その分析もきわめて明解だった。 

 今の中国・北朝鮮を見て、時宗の生前と比較して、どのくらいの時期に当たるのだろうか。

「いや、もう、かなり出遅れていますね。あそこまで放置するっていうのは、ちょっと考えられませんね。やっぱり、拉致問題が起きたあたりで手は打たなければいけませんね」

「だから、北朝鮮や日本をなめ、韓国が日本をなめているのも、分かるような気がしますね」

 北朝鮮による日本人拉致問題はすでに1970年代後半から起きていたが、ようやく金正日総書記(当時)が日本人拉致の事実を認めたのは2002年だ。だが、その時点でも日本政府は拉致被害者を還してもらうことだけに汲々とし、北朝鮮に対して当然とるべき報復措置をとってこなかった。それが時宗から見れば 「なめられて当然」と映るのだ。

その上で、豪胆な時宗ならではの意見として、日本がとるべき強い対応策を次々に示した。

 また、日本が長年の貴族社会から武家社会に変わったことに関して、「天の計画」がどのようにあったのか。元寇に対してなぜ勝つことができたのか。その 「秘密」についても明かした。さらに、二度にわたって「神風」を吹かせた神様はどなたかについても、具体的に明らかにした。

 時宗自身が現代に生まれ変わっているのか、との問いに対しては、

「時宗なら、やっぱり今の日本なら“秘密兵器"でなければならないでしょうから、彗星のごとく登場して、この国難を乗り切るような人でなければいけないであろう」

 と、意味深長な発言をした。果たして日本を守った北条時宗は、現代に生まれ変わっているのだろうか?

 

 本霊言では、以下のようなポイントについても、時宗らしいスケールの大きい話が聞ける。日本が中国や北朝鮮による「新・元寇」によって侵略されないためにも、北条時宗の現代日本へのメッセージは必聴、必読だろう。

 

  • 尊敬される政治家になるための条件とは?
  • 安倍政権の外交・国防をどう見ているか?
  • 時宗なら、今の中国の尖閣への侵略行為にどう対応するか?
  • 北朝鮮の口の悪さに対して、日本が対抗する「秘策」とは?
  • 今の中国の「弱点」とは? それに対して打つべき手とは?
  • 日本の防衛のために持つべき兵器とは?
  • 蒙古襲来を予言した日蓮との関係は?
  • 元寇をきっかけにして日本神道が巻き返した理由とは?
  • 時宗と伊勢神宮との「隠された関係」とは?
  • アメリカ、ヨーロッパ、ロシアが背負っている「カルマ」とは?
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