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大平正芳・元首相が「大復活」! 安倍首相の「ごまかし」を叱る

2013-06-29 00:00:10 | 日記

ザ・リバティーweb  より転載です。

大平正芳・元首相が「大復活」! 安倍首相の「ごまかし」を叱る

 

 

公開霊言抜粋レポート

 

大平正芳・元首相が「大復活」! 安倍首相の「ごまかし」を厳しく叱る

大川隆法総裁公開霊言「大平正芳の大復活」

2013年6月14日収録

「誠実と信念の政治家」として、今その功績が改めて見直されている大平正芳・元首相。敬虔なクリスチャン政治家だった大平氏が、なんと現代に「大復活」し、安倍首相への厳しい忠告をはじめ、日本と世界の動向を鋭く分析し、近未来を「予言」した。

大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁が超絶的な霊能力をもって実現した、大平元首相の33年ぶりの「大復活」。その驚くべき霊言は、大平氏が死後、天上界に還り、政治的にも宗教的にも数段パワーアップし、日本のみならず世界を視野に入れて未来を見通していることをうかがわせる。しかも大平氏の過去世も明らかになり、キリスト教徒の深い関係が魂の出自から来ていることが分かった。

政治家、マスコミ人、クリスチャン、そして全日本人に向けた大平氏の天国からのメッセージは、これからの日本と世界を考える上で必聴、必読である。

 

※大川隆法総裁による「大平正芳の大復活」の映像は、全国・全世界の幸福の科学の支部・精舎で拝聴できます。また、書籍は7月上旬に発売予定。

 

 

今もなお注目される「アーウー宰相」の「魂の本質」とは?

 大平正芳氏といえば、まず思い浮かぶのが「アーウー宰相」と言われた、その語り口だ。「アー」や「ウー」と間を取って、ゆっくりと話すため、そのように言われた。しかし、実際に活字にしてみると、「アー」「ウー」などの文言を外すと、きわめて論理的な文章になっていて、高度に知的な人であることが分かる。

 今回の霊言で、まず驚くのは、生前の口ぐせである「アーウー」という間の取り方、しゃべり方まで生前の大平氏そのままであり、映像で見れば「大平正芳氏本人の言葉」であることが明らかに分かることだ。これを見れば、大川隆法総裁による霊言現象が本物であることが、ハッキリと分かるだろう。

 大平氏については、死後30年以上経ってなお、大平正芳氏の功績を讃える書物が相次いで刊行されるなど、静かなブームが続いている。派手さのない大平氏が、なぜそれほどまでに注目されるのだろうか? それには実は、「魂の本質」につながる深い理由があった。

 

 

大平元首相の「未来を見通す眼」

 大平氏の政治思想が今なお色褪せないのは、彼が未来を見通す眼を持っていたことだろう。実際、大平氏の発言や主張、政策の中には、21世紀を見通したと思われるものが数多い。

 たとえば「戦後の総決算」という言葉を、すでに1971年の時点で使っている。

「わが国は、いまや戦後の総決算ともいうべき転機を迎えている。この転換期に処して、これからの方向を誤らないことが政治の使命である」(1971年9月の宏池会議員研修会)

 大平氏はこのような認識に立って、さらに様々な「未来構想」を打ち出した。主なものを挙げてみよう。

 

  • 環太平洋連帯構想

     太平洋地域には、日本、アメリカをはじめ、アジア諸国、オーストラリアなど、様々な特色を持つ国々がある。それぞれの国が、排他的で閉ざされた関係ではなく、世界に向かって開かれた地域主義として、環太平洋連帯構想を掲げた。この構想は、「アジアの時代」を先取りし、やがてAPEC(アジア太平洋経済協力会議)へとつながっていく。

  • 家庭基盤充実構想

     大平氏の持論は「家庭はわれわれの生活にとってかけがえのないオアシス」であり、「ここがしっかりしていないと、いい社会ができない」ということだった。特に高齢化社会に伴う年金や高齢者医療の問題を、いち早く見抜いて、本質的に国がすべて面倒を見るべきではないと見切っていたことは、特筆に値する。だが、その後の自民党政権は大平氏の「遺言」を守らず、いたずらに社会保障費をばらまき、財政赤字を増やし続けてしまった。

  • 田園都市構想

    「緑と自然に包まれ、安らぎに満ち、郷土愛とみずみずしい人間関係が脈打つ地域生活圏が全国的に展開され、大都市、地方都市、農山漁村のそれぞれの地域の自主性と個性を生かしつつ、均衡のとれた多彩な国土を形成しなければなりません」(1979年1月の施政方針演説)

     当時、過密化した大都市は生活からうるおいや心のゆとりを奪っていた。大都市を大規模に再開発することで、「緑の都市」とし、「季節感を取り戻す」ことで、大都市に生まれた人にも「ふるさと社会」を与えることを目指した。

 このような「先見力」を持っていた大平氏だが、今回の霊言では、さらにスケーアップし、日本のみならず中国、アメリカの「未来」をも見通して、日本政府としてとるべき方策を提言している。それは、大平氏が日本だけではなくグローバルな魂であることを示す証左でもあるだろう。

 

 

キリスト教信仰に基づく「宗教政治家」

「大平君は政治家じゃないよ、宗教家だよ」と評したのは盟友、田中角栄・元首相である。

 大平氏は敬虔なクリスチャンだった。中学生時代に父が亡くなり、貧しい農家出身の大平氏は叔母の経済的援助によって旧制高松高商に入学。同校に来校したキリスト教伝道師・佐藤定吉氏の後援に感動し、「イエスの僕会」という学生団体に入り、街頭に出て信仰告白と伝道活動を続けた。

 高商卒業後、佐藤定吉氏の開発した薬品を販売して、その利益をすべてキリスト教のために献金しようと思い、2年間その販売活動を続けたが、うまくいかず、育英資金を得て、東京商科大学(現一橋大)に進学。その後も、矢内原忠雄氏の聖書研究会や、賀川豊彦氏の聖書講義に参加するなど、聖書の研究に没頭した。

 大平氏は読書家としても知られ、1万数千冊の蔵書を持っていたが、中でも特別な本が「聖書」だったという。大平氏がいかに聖書を大切にしていたかは、次の言葉からも分かる。

「人さまの前で誇れるような信仰ではないが、聖書から離れて生きることはできない。祈りの中で神さまとの対話は続けている」(1967年2月25日付「キリスト新聞」のインタビュー)

 また、自民党総裁選に初出馬した年の1972年にキリスト教司教との対談でこう語っている。

「一大小説ですね、聖書というのは。しかも、飾らない言葉だけが書いてある。いいことも悪いことも、真実も嘘も、虚栄も実行も、ね。そういうこと、現代も変わりませんね」

「聖書に『汝らは地の塩たれ』とありますが、私は少なくとも地の塩的な役割を果たしたいと思うんです」(月刊「カトリックグラフ」1972年4月号)

 

「地の塩」とは何か。イエスが有名な「山上の垂訓」で言われた一説である。塩が人間の命を保つのになくてならないものであるように、神の真理もまた人の魂にとって不可欠のものである。塩には賞味期限がないように、神の真理は永遠のものである。塩はまた、その塩味を保つことで他の食物のために貢献し、防腐剤としても貢献する。あなたがたもまた、真理を把持し続け、この世の腐敗を防ぎなさい――このような意味である。

 大平氏は、自民党内が抗争と怨念によって分裂状態となる中で、1980年5月に衆院解散、衆参同日選挙に打って出る。その遊説中に倒れ、首相在任中のまま6月12日に70歳でこの世を去った。だが、この大平氏の死によって、自民党の主流派と反主流派は一つになり、自民党は衆参で安定多数を得て、それまでの与野党伯仲の状況を脱することができた。まさに「地の塩」の生き方、死にざまを地で行ったのが大平氏だったと言えるだろう。

 

 今回の霊言で大平氏の霊は、自らの過去世についても明かした。なんと、クリスチャン政治家で聖書を座右の銘にしていた大平氏の過去世は、「イエスの十二弟子の一人」であり、聖書を書いた「福音史家の一人」でもあったのだ。

 本編では、その名前と、さらに他の過去世についても言及している。大平氏の魂は、単に日本にとどまらず、キリスト教世界に大きな影響力を持つ、グローバルな魂だった。

 

 

「信念の政治家」が安倍首相の「ごまかし」を叱る

 クリスチャン政治家として、「寛容と忍耐」をモットーとした大平元首相だが、「正しさ」においては妥協するところがなかった。

 当時の自民党は「三角大福」と呼ばれる4つの派閥(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫の4氏の派閥)の抗争が激化していた。1974年、田中角栄氏が金脈問題で退陣後、三木武夫内閣を経て、76年、福田氏と大平氏が「2年後に大平氏に首相を譲る」という合意を交わし、大平氏は幹事長として福田内閣に全面協力した。ところが、78年の自民党総裁選に福田氏は大平氏との合意を反故にして、再選出馬を表明する。

 このとき大平氏は、福田氏の政治手法を不誠実であるとして、「進退は天に問い、栄辱は命に従う」と語り、総裁予備選に出馬した。この結果、予想を覆して予備選で第1位となって、福田氏を退陣に追い込み、ついに大平首相が誕生した。

 だが、大平氏の首相時代も党内の波風は強く、翌79年の衆院選で自民党が過半数を割ると、党内から「大平退陣」を求める声が強くなり、マスコミも大平首相の責任を追及する。それに対して大平氏は頑として退陣を拒否した。

 大平氏の主張は、「自民党は前回より1議席減らしたが、他の政党を断然引き離す第一党であり、当選後の入党者を加えれば過半数を占めている以上、議会制民主主義の原則から見て、総理大臣を辞任することはおかしい」という、原則に則ったものだった。

 

 このように「何が正しいか」を常に求め、政治の原則を貫き、頑として首相の座にとどまりその責任を果たそうとした大平氏、そして首相のまま殉じた大平氏から見て、現在の安倍晋三首相は、どのように見えるのだろうか?

 安倍氏は前回首相の時、2007年7月の参院選で大敗を喫したが、その後も続投する意向を見せながら、「健康問題」を理由に9月に退陣した。ところが、昨年9月、自民党総裁選に出馬を表明。党員票でも一時投票でも結果は2位だったが、決選投票で1位となり総裁に選出された。

 だが、1度辞任した首相の再就任は、戦後では吉田茂以来2人目であり、きわめて例外だ。しかも野田佳彦前首相が自ら解散・総選挙に打って出たために入ってきた「棚ぼた政権」と言ってもよい。

 このような安倍首相に対して、大平氏の霊は、きわめて厳しい言葉で叱った。

「(安倍首相は)ほとんど幸福実現党の政策をパクって、政権取ったんだろ? もうちょっと正直に言ったほうがええんじゃないかなあ」

 大平氏の霊は、安倍首相が「アベノミクス」と呼ばれる金融・財政政策が、幸福実現党の政策をそのままパクッたものであることや、他の政策についても後追いしていることを挙げ、「ウソでできている政権」だと断じた。

 この「誠実」をモットーとする先輩首相の霊言を、安倍首相はどのように聴くのか?

 

 

「真の保守政治家」が見通す日本と世界の未来とは?

 大平氏のブレーンであった佐藤誠三郎・東大教授は、「大平正芳は戦後日本の政治家の中で、例外ともいうべき本格的な保守主義者であった」と評している(「大平正芳の政治姿勢」)。

 大平氏は基本的に「小さな政府」を目指していた。次に大平氏の政治姿勢を示す言葉を挙げてみよう。

「国民にやる気を起こさせるのが政治だと思う。こうもしてあげる、ああもしてあげるというのは政治ではないと思う」(1978年10月22日付産経新聞)

「政治は幻想をまき散らすものではない。厳しい現実をもって国民にこたえるようにしたい。誠実な政治でいかねばならない」(同年11月1日付日本経済新聞夕刊)

 

 こうした政治姿勢を貫いた大平氏は、国民から理解されないことも多かったようだ。大平首相の首席秘書官を務めていた森田一氏は、こう語っている。

「大平総理の場合、基本的な人生哲学が人の目よりも天の目を意識するという意識が強く、人から理解されなくても、神から理解してもらえるのであればそれでいい、という考えでした」

 この姿勢こそ、「宗教政治家」の真骨頂と言える。ともすれば「民主主義」を金科玉条として国民受けする公約をばらまき、結局は日本を衰退させる政治家やマスコミがまかり通る中で、「真の正しさ」を「神の目」に求め、正しいと思ったことを断行する姿勢こそ、大平氏の政治姿勢であり、政治家としてのあるべき姿だろう。

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