神仏から作られた人間の魂は、肉欲に負けて犯罪を起こします。
この世ではうまく逃れても、あの世に変えると、すさまじい反省が待っています。
同じ目にあうのです。
殺された恨みが晴れるまで永遠に続くのです。
神仏を信じない人達は、自分の魂の親を否定することですから
自分自身を責めることになります。
殺してくれ!と泣き叫んでも、死なないのすから、永遠の苦しみですね。
しかし、やがて数千年の反省から許されて、再度人間に生まれて、
さて、同じ残虐な事をするか、今度はされる側になるかの試練を受けます。
さくらの花びらの日本人よ誇りを持とう さんより転載です。
7月29日と言えば日本人は忘れてはいけない日である。
戦後は教えられることもなかったが、最近、保守派の有志の方々がネットや著書にして知られるようになった「通州事件」である。
昭和12年7月29日、支那の通州で3000人の支那の保安隊第一、第二総隊が襲撃して、日本人女性や子供260人が凌辱、虐殺された。
日本人は怒りに怒った。
通州事件の被害者には皇室から前例のない祭祀料が下賜された。
通州事件の現場にいた方の証言がある。一度、目を通してほしい。
-------------------
・・・。そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。15才か16才と思われる色の白い娘さんでした。その娘さんを引き出して来たのは学生でした。そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。
その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。体はぶるぶると震えておりました。その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。
保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで5回か6回か殴りつけました。
そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。支那でも七月と言えば夏です。暑いです。薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。
すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。
娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。
学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。そして下着を取ってしまいました。娘さんは「助けてー」と叫びました。
と、その時です。一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。
すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。何かグシャッというような音が聞こえたように思います。頭が割られたのです。
でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。
この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。
そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。服が破けます。肌が出ます。血が流れます。そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。
そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。血がパーッと飛び散ります。その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。
腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。又腹を突きます。胸を突きます。何回も何回も突き刺すのです。
沢山の支那人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。
その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。暴虐無惨と申しましょうか。あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。
この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を3メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。
この娘さんは既に全裸になされております。そして恐怖のために動くことが出来ないのです。その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。そして陵辱をはじめようとするのです。
支那人とはいえ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだからこれはもう人間のすることとは言えません。ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。どうしても陵辱がうまく行かないのです。
すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。
こんな姿を見ながらその近くに何名もの支那人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私とTさんは20メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。
私はTさんの手にしっかりとすがっておりました。目をしっかりつぶっておりました。するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。私は思わずびっくりして目を開きました。
するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。
その私の身体をTさんがしっかり抱きしめてくれました。見てはいけない。見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。
ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。それから剣で首を切り落としたのです。その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。・・・
(「天皇さまが泣いてござった」(しらべ かんが著)より)
----------------------
このような調子で次々女性が凌辱されて殺されていった。まさに悪夢だ。
しかしこれがシナ人なのである。しかもこれは遠い昔の話ではない。シナ人の正体はずっと同じであり、現在も起きているのだ。
シナ人の土木会社社長の息子・王亮と資産家の息子・魏巍は福岡の語学学校で知り合い、私大生の楊寧を誘い、まずは語学学校に盗みに入り、次にファーストフード店を襲って大金を奪った。
今度は強盗殺人をやることにした。狙った家は4人家族。殺した後はダンベルを重りにして海に捨てる計画だった。
その夜、その家に押し込むと母親は入浴中で11歳の長男と8歳の長女は寝ていた。手分けして一人が長男の首の骨を折って殺し、長女は殴って気絶させた。
母親は浴室で強姦され、その後、シナ人が交代でナイフで母親の肉を刃物で次々切り取って時間をかけて苦しめて殺そうとした。シナで言う凌遅刑である。そして最後に母親に致命傷を与えた者が長女を殺すことになった。
しかし母親が必死で抵抗したため、シナ人達は母親の顔や上半身を殴りつけ、髪を掴んで何度も壁や床に打ち付けたため、母親は気を失って座り込んだ。
しかしシナ人達は、そのまま母親を殴り続けて、最後にはビニールひもで首を絞めて、浴槽に顔を沈めて殺した。死因は溺死だった。
そして、帰ってきた父親は鉄パイプで殴られ、目の前で長女をいたぶり殺されるのを見せつけられた後、首をくくられて殺された。これが福岡一家殺人事件である。
普通の幸せな家庭が一夜にして殺害されてなくなってしまった。
今、100万人を超えるシナ人が日本にいる。彼らは護身のために刃物など凶器を持っている場合が多い。つまりいつでも日本人を殺せるのだ。
このような凶暴な民族をどんどん日本に入れるとどうなるか、日本政府は真剣に考えてもらいたい。