良く悟っておられる方ですね。
本当の自分
与国秀行 氏 ブログ転載
http://ameblo.jp/uttaetotatakai/entry-11634461501.html
2013-10-12 09:25:
我々人間が、人間として成長を遂げていくためには、仏法を学ぶことが大切
ですが、しかし“人間が仏法を学ぶ”とは、それはすなわち“自分が何者で
あるかを知る”ということです。
およそこの世界において、“自分が何者か?”という問の答えを
知りたくない者などいるのでしょうか?
誰もが、「自分とは何者か?」という問の答えを、
知りたいのではないでしょうか?
では、貴方とは何者ですか?
会社の社長の人もいるでしょう、平社員の人もいるでしょう、
学生もいるでしょう、専業主婦も、OLもいるでしょう。
さて、貴方とは何者ですか?
もし“社長”が貴方ならば、では貴方は生まれてよりずっと社長で、
そして死ぬまでずっと社長ですか?
ずっと学生、ずっとOLですか?
名刺の肩書きが貴方ですか?
身長だの、体重だの、鼻が高いだの低いだの、目が大きい小さいなど、
人の容姿にはいろいろとありますが、今の姿の貴方が真実の貴方ならば、
しかし赤ん坊のころの貴方、あるいは白髪となり歯や髪が貧しくなる貴方も、
貴方ではないのですか?
時間が過ぎ去ることで変わっていく貴方の中に、
永遠に変わることのない本当の貴方がいるのではないでしょうか?
あるいは人間の肉体は細胞で作られ、さらに細かく分解すると、
原子や素粒子となっていきます。
物質が集まり、そして組み合わさることで、貴方の肉体が形作られています。
その物質を超えた“何か”に、永遠の本当の貴方がいるのではないですか?
では、その永遠の本当の貴方とは、ではいかなる存在なのですか?
数十年の人生を終えて、焼き場で焼かれ、難解かつ呪文のような
お経を唱えられたら、真っ白な灰となっていくだけの存在が、
本当の貴方ですか?
それとも古来より、仏教において云われているように、
心を唯一の持ち物に転生輪廻、すなわち生まれ変わりを繰り返し、
そして地上での人生の生き方によって、人は天国にも地獄にも旅立っていき、
そしてまた生まれてくる存在、それが貴方ですか?
「そんなことは分からない」
「そんなことを考えたって仕方がない」
おそらく、そう考えられる人もいるでしょう。
では、2500年、あるいは2000年もの長きにわたって、人類より
「尊敬」の二文字を付されてやまない、仏陀やイエスという存在であったら
どうでしょうか?
偉大なる彼らにも、“人間とはいかなる存在なのか?”という問の答えは
分からなかったのでしょうか?
いや、そうではありません。
仏陀とは、「真理を悟りし者」とか、「真理を極めし者」とか、
「目覚められたる者」とか、そういう意味でありますが、ふつうの人には
分からないことが分かることこそ、それが仏陀の仏陀たるゆえんであり、
人類から尊敬を受けるゆえんなのです。
また、「イエスは天国や地獄については説いたが、しかし生まれ変わり
については何も説かなかった」、というのがクリスチャンたちの定説で
ありますが、しかし彼らクリスチャンたちにこそ、実は間違いがあります。
なぜならイエスは、たしかに“生まれ変わり”について説いたからです。
しかしイエスが説いた“生まれ変わり”についての教えは、
西暦300年代の聖書が編纂される際に、当時の聖書を編纂した無知の
人々の手によって、“偽典”にされてしまい、聖書の中に入れられることは
なかったのです。
聖書には、「マルコ」、「マタイ」、「ルカ」、「ヨハネ」の四福音書
しかありませんが、その他にも偽典にされてしまった「マリア福音書」、
「トマス福音書」などがあり、そしてトマス福音書にはたしかに
“生まれ変わり”についての教えがあるのです。
つまり、イエスも仏陀と同様に、生まれ変わりについて人々に説いたのです。
そして聖書が編纂される際に、「生まれ変わりは真理であり、イエスは
生まれ変わりについて説いていた」と、そう主張したのがオリゲネスという
神学者にして、プラトン系の哲学者でした。
しかしローマカトリック教会は、「地球こそ太陽の周りを回っている」と
主張したガリレオを破門したように、「人は生まれ変わりと繰り返している」
と主張したオリゲネスをも破門してしまいました。
地動説を唱えたガリレオが、カトリック教会より破門を解かれたのは、
350年ものちの1992年でした。
なぜカトリック教会は、ガリレオの破門を解いたのか?
それは教会が主張した「太陽が地球の周りを回っている」という天動説が
間違いであり、ガリレオが主張した地動説こそ科学的真理であったからです。
これと同様に、転生輪廻が宗教的真理である以上、カトリック教会は
オリゲネスの破門をも解くべきなのです。
しかし、もしもカトリック教会がオリゲネスの破門を解くならば、それは
キリスト教の歴史が根底からくつがえることを意味し、それはすなわち
キリスト教に一つのピリオドが打たれることを意味します。
しかし真理がねじ曲げることなど絶対に許されず、イエスもそんなことは
望まないのですから、ローマ法王はオリゲネスの破門も解くべきでしょう。
「転生輪廻が真理である以上、ローマカトリック教会はオリゲネスの破門も
解くべきである」、これが私がかねてより主張しているキリスト教改革であり、
実はこれと似たことを主張していたのが、ダ・ヴィンチです。
ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の壁画は、今もなお何を描いたのか謎と
されておりますが、あそこに描かれているものこそ、聖書が編纂される際に、
偽典にされてしまった福音書の中に描かれている描写なのです。
さて、オリゲネスの問題はまた別の機会にゆずるとして、
貴方とは何者ですか?
今の貴方には何らかの肩書きがおありでしょうが、その変わっていく肩書き、
あるいは変化していく肉体の奥に、変わることのない
貴方が存在するのではないですか?
諸行(しょぎょう)は無常です。
諸々(もろもろ)のすべてが常なるものではなく、
時間を越えた奥に真なる貴方がいるのです。
手や足をよく見てください。
細胞が集まり、原子が集まり、その原子の中にも様々なものがつまって、
貴方の肉体はできております。
諸法(しょほう)は無我です。
すべての物質には実態はなく、物質(空間)を越えた奥に真なる貴方が
いるのです。
時間軸と空間軸(物質軸)という縦と横の二本の軸が交差する中心点に、
永遠に変わらない成長のみ遂げる真なる貴方がいるわけです。
貴方とはいかなる存在か。
この地上にて永遠に生き続けるわけでなく、
また永遠に滅っせられることのない貴方。
常にこの地上にあり続けるわけでなく、
また決して断じられるわけでもない貴方。
在るものでもなく、また無いわけでもなく、“この世とあの世を越えた
空(くう)なる存在”、それが真実の貴方であり、これを
「一切皆空(いっさいかいくう)」と仏教では云うのです。
そして「すべては空である」と悟ったのならば、この地上にて起こる
すべてのわずらいごとも、悩みも苦しみも消え去っていくしかないのです。
人は「一切は皆、空である」と悟ることができればこそ、この地上
世界で物にとらわれて、物質欲、金銭欲、色欲、酒欲、賭博欲、名誉欲、
欲また欲の破滅の人生から逃れ、脱していくことができるのです。
人生を崩壊させている者、破滅型の人生を生きている者、あるいは牢獄に
繋がれている者、みなが霊的な人生観を持つことなく、唯物的な人生観を
持って、欲また欲の人生を生きてしまった人々です。
また人生の苦しみの大半が、“過ぎた欲望”、つまり
「執着(しゅうちゃく)」と呼ばれているものであり、人は自分の執着を
断ち切ればこそ、苦しみから解放されていくのです。
このように我々人間は、自分がいかなる存在であるかを知れば知るほどに、
それを認識し確信すればするほどに、安らかなる心境、静寂なる穏やかな
心境を掴みとっていくことができるのであり、これを仏教では、
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の境地と云うのです。
そして「諸行無常」、「諸法無我」、「涅槃寂静」、これら三つを
合わせて、「仏教の三法印(さんぽういん)」と呼び、これら三つが
あることが、仏教である証であり、本来の仏弟子の仕事とは、冠婚葬祭でも
観光事業でもなく、人々に悟りを与えて涅槃の境地に導くことです。
ゆえに仏弟子こそ、心の医者にして、心の教師であると、
私はそう豪語しているのです。
そして「すべては空であり、一切は皆、空である」と悟りながらも、
この地上にて自分が成すべきことを悟り、力強く生きていく精神を、
真に空を悟りつつも、妙ざる有を見つけ出すということから、
「真空妙有(しんくうみょうう)」と云うのです。
もう一度、たずねます。
貴方とは何者ですか?
貴方とはいかなる存在ですか?
貴方の今の心境はいかがですか?
貴方の成すべきことはなんですか?