安土街道 築城日誌 (安土らくらく倶楽部)

安土山下の日々と塚又商店主の日常・・・

久しぶりに積もりました。

2021年02月09日 | ブログ
☆2月9日、火曜日。午前中

☆去年の大晦日以来の積雪でした。ざっと、10センチ。
☆朝の雨雲レーダーによると、今日は、滋賀県北部よりも下の部分を雪雲が通過しています。長浜より安土の方が積もっているみたいです。


☆配達で、JR琵琶湖線の南側の農道を走ります。鉄道の向こう、安土山を望む水田も真っ白。


☆今度は、安土山の北西側を走ってます。
安土山を見上げると、山の中腹に「安土城時代」の建築物であります、摠見寺の三重塔のアンテナみたいな先端(「相輪」と云うらしい)が僅かに見えますが・・・、わかりますか?


☆安土城と云えば・・・、悲しいかな、NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が終わってしまいました。
☆最終回「本能寺の変」のエンディングは・・・、明智光秀は、敗れたらしいが・・・死んだかどうか判らないような終わり方でしたね。(続編が期待される・・・。)

☆その前の回では、光秀が家康に領地の統治の仕方についてアドバイスするシーンなど・・・、その後の何かを連想させる場面がありました。(SNSでも話題になってました。)

☆私も学習しましたが・・・、「実は、光秀は生き延びていて、天海という偉いお坊さんとなり、徳川家康の参謀となり江戸幕府を支える・・・」という伝説があるのですね。

☆そこで、安土に話を戻しますと、実は、僧「天海」は安土にも関係があるのですよ

☆それは、天台宗の寺院であります安土町下豊浦の「東南寺」です。
☆東南寺由来書によりますと、「慈眼大師天海大僧正が元亀の争乱により荒廃した東南寺の現状を嘆き、仮堂を建立した」とあるようです。
☆「地元の伝承では、慈眼大師開基とされており、江戸時代のごく初期の創建か、古く見ても安土城下町の建設と同時期と考えられる。」「東南寺の存在が確認されるのは、寛永18年(1641)のことである。」(以上、天台宗データーベースより)

☆特別編やスピンオフが楽しみです。

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